川岸直貴

夏の新芽(執筆者:川岸直貴)

初夏にしびれる百合の指さき
甘いにおいが漂う以外
こころの庭には差さない光
あなたがいないと食事も苦い

白いカーブを描いてしなり
美しい腕に抱かれていたい
香りゆくまま揺らめく未来
談笑、鮮やかに変わる味蕾

海を渡りゆくかもめのように
自由になれたら美しいだろう
山を越えゆく鳶のように
強くあれたら迷わないだろう

わたしが愛する世界のすべて
汚いところも理不尽も含めて
背筋を伸ばして生きれるように
あなたに会えたら一緒に笑おう

解説

夏と恋をテーマにした詩歌。
自然に読めて、素朴純心なものを目指した。

詩歌律格として、押韻定型詩を採用した。

起承転結の姿が見えるように、四行四連の構成。
押韻脚の構成は、 aaaa / aaaa / bcbc / ddbc 。
bcの押韻を単純化させる代わりに、四連目の反復律の結びとした。

音数は、8・8律を採用した。

以下、脚韻箇所の解説。

初夏にしびれる百合の指さき(uiai)
甘いにおいが漂う以外(iai)
こころの庭には差さない(iai)
あなたがいないと食事も苦い(iai)

白いカーブを描いてしなり(iai)
美しい腕に抱かれていたい(iai)
香りゆくまま揺らめく未来(iai)
談笑、鮮やかに変わる味蕾(iai)

海を渡りゆくかもめのように(oui)
自由になれたら美しいだろう(aou)
山を越えゆく鳶のように(oui)
強くあれたら迷わないだろう(aou)

わたしが愛する世界のすべて(uee)
汚いところも理不尽も含めて(uuee)
背筋を伸ばして生きれるように(oui)
あなたに会えたら一緒に笑おう(aaou)

夏風(執筆者:川岸直貴)

大山は清く冷たく澄んでいる
藪に栗鼠が笑い、山では鳶が飛ぶ
麓ではひとが居を構え休んでいる
 
弧状の海岸では孤独を問い直す
人があり水をすくいながら西を見やる
そうして天に手を合わせ「ありがとう
 
若者は恋を語り、人生の岐路に立つ
手紙を抱えて窓辺へと
乗り出して物思いに耽る白い春
 
そうして幾度となく春が倒れても
また夏が椰子のように伸びて秋は
乾いた風で冬を招く「おめでとう
 
私はピアノを弾く以外に取り柄なしな
冷たく皺が寄った指先を重ねて
椅子で本を読んだ、夏の陰翳礼讃

*テルツァ・リーマ(三韻詩法)… 脚韻構成 aba / bcb / cdc / ded / efe

球根・波の女(執筆者:川岸直貴)

幽冥の揺らめきの輝きのうみに
膿み出るせせらぎの波の淡いに
きらめくすはだのおんなの頸の
しろさとそのいちずな静けさよ
指にゆらりからまる悠久はゆめ
しなる肢体に皺がなみなみゆれ
なみたちひらめき脈を刻みつけ
ヒラメの広さの背はほどけぬ糸
めいめい月かげぬれてぬわれて
ありあり吐息のとろけたほてり
にしめやかに緩慢な動作で男は
触れあわいに抱合うささやかな
肉体のはげしいはずみに恥らい
時間のなだらかな芽出るめまい
懊悩へ丘陵は紺碧に鳴動し胎動
下り尽きゆくねつは月へと浮き
慄えるやみの波の静けさに歸る

河東碧梧桐論‐瞬間性の美学 / 果敢なさ‐(執筆者:川岸直貴)

河東碧梧桐論‐瞬間性の美学 / 果敢なさ‐

 

 五七五の核心に迫ること。それはとても甘美で、危険なことに思う。さしも韻律は、各人の主観を彩り、時代の音程や音色を体現せしめる。

 よく、詩の音と詩の内容についてを切り離して考えるひとが多くいる。しかし、現実には音が内容を生み、内容がまた音を生み出し、互いが互いを補完し、影響しあい、言葉の全体に帰っていくことで詩は成り立っていく。各主体を切り離して考えるのは困難である。詩の清新さや情調への理解を深めていくには、韻律に対して深い熟考をたゆみなく続け、危険を顧みず、秘匿の内部を考察する強い姿勢を堅持することが必要になる。

 ここでは、句の革新に常に挑みつづけた文人、河東碧梧桐について考えたい。

赤い椿白い椿と落ちにけり

 先に引用した句は、非常にダイナミックで、印象のつよい碧梧桐の句だ。理由はわからなくていい、深い意味もそこになくてもいい。ただ、赤い椿と白い椿が、その言(ことば)の撓みと重みを現実に抱えたまま、「落ちにけり」、と駆け降りる素直さ、率直さ、清新さにこの句の美(よ)さはある。

 じゃらじゃらした虚飾ばかりが多い時代に、この清らかさは涼しい。シンプルだ。カーンとした、分かりやすさがある。同時に退廃的で、椿からの滴る甘い蠱惑的な匂いが、句からただよってくるようだ。

 「赤い椿」が6音の字余りなのが、句に撓みを与えている。椿の色のイメージと音の印象は混一しつつ、最後に意味へ素早く移動している。これは碧梧桐の代表的な各句に共通する姿勢だと思われる。

ミモーザを活けて一日留守にしたベッドの白く

 この句は、碧梧桐の核心とも言えるべき句だ。読んでいただければわかるが、自由律俳句だ。そして句の意味深長さといい、韻律のスパっと切れ落ちるような単純さ、明快さ、率直さ、後には何も残らないような感官(かんかく)といい、心象と具体とが見事に混一した傑句と言える。

 ミモーザ。

 それは黄色い花だ。気持ちの良くなる色。あまり先人の論でも内容については多く書かれていないが、恐らくこの句は、友人なのか誰かが入院をしている情景を想像することができる。病床に臥せって、気持ちも暗くなる。

 それに対し、ミモーザの花を活ける。黄色い花を見て、気分がすこしでも涼やかになれば、匂いもとても良いだろう、入院している人と、それを見舞う人の、そんな会話が聞こえてきそうだ。しかし、いつまでも病院にはいられない。だから、病院を見舞う人は一日留守にした。

 そして最後にベッドの『白』という色で終わる。これの意味するところは明白だろう。

 あるいは、こうだ。このベッドは自身の横たう療養先のもので、感情を涼しくするためにミモーザを活けた。そして、一日(あるいは半日ほどが一日に感じた)所用や検査のために部屋を開けていたら、自身のベッドが思いがけず死を直視するほどに白く感じてしまった。そのようにも読める。

 ミモーザの花も、言葉の韻律も、人間の生命も、そこには、瞬間性がある。咲いては散るからこそ、美が生まれるし、果敢なさが生まれる。

 「瞬間性の美学」――毎日の生活の重さに比して、それは明るく輝く。碧梧桐は、抒情的な句も多く詠んだが、この句にみられるような瞬発力の高さは、彼独自のもので、内面を越えてそれは突如として現れるように思われる。字面にまざまざと顕れる率直な表面性を、どのようなレベルで碧梧桐が持っていたのかが分かる。

 「詩は読むものではない、視るものだ」とは、私の師・諏訪哲史の言だが、なるほど碧梧桐の句には速さがある。読むよりは〝視る〟ほうが近い。

 碧梧桐には、彼につづく後進が現れなかった。しかしそれは必然であり、いかに優れた愛弟子や文人であろうとも碧梧桐独自の思考のリズムや発想、句の瞬発力に追いつけないのだ。

 碧梧桐の句には、これまで数多の文学者や俳人が内面性に一抹の欠損があると指摘している。しかし、それら碧梧桐の句にたいする批判は、しばしば韻律をすっかり無視しているように思われる。

 口に出したとき、目に見たとき、瞬間的にイメージする言葉は喩え果敢ない刹那のものであったとしても、ミモーザの色のように彩りは豊かだ。

 内面性は韻律やリズムを伴って現れ、碧梧桐の句は時に音が内容を代弁する。

 私は、碧梧桐の句は、真に韻文的であると強く思う。散文にはない速さは難解と言われるゆえんにもなるが、この速さや涼しさが私には心地良い。

桜活けた花屑の中から一枝拾ふ

 最後だ。西洋的心象から遠ざかって、一転、日本的な抒情を表現している。だが、この句も碧梧桐らしい速さがある。

 桜を活けた花屑から、一枝だけ拾う。

 それは代わり映えしない日常の動作、だがここには、その一枝を選んだという美を愛する瞬間がある。この枝が良かったのだ。この枝のためだけに、句が徒されている。それは何ものにも変えられない世界と詩への愛情だろう。

 技巧から離れるとも離れないとも違う、率直な心理を平明に歌っている。西洋の新進的な空気もそのままに、このような童心あふれる瞬間を、切り取るように観察できた碧梧桐は、写実を重んじた子規の門下であったことを確信する。

 桜があり、花屑があり、きっと親しいひとが近くにいたのだろう、穏やかな空気感。

 鋭い句を表現してきた碧梧桐は、字面上に難解と奇抜さを吟じえたが、それは独白素直な心理が、碧梧桐の中にベースとしてあったから書けたものだ。単に鋭いだけで何も意味するところのない、表現それ自身にのみ依存した一部の現代芸術とは違う、碧梧桐の見事な暖かい精神性を、この句からは明瞭に感じられる。

 碧梧桐は、瞬間を写実し、見事な暖かい精神性を明瞭に結実させた偉大な文人だ。

白鳥の卵(執筆者:川岸直貴)

白き翼を陽に広げ
水をはじきて川にふる
いづこより君は来たりやと
問へど束の間、北へゆく
 
青を仰ぎてよろめきぬ
絹いとのごとく柔らかなる
翼のたわめき、温かなる
冬の陽射しに輝きて
 
卵を見しためしにあらず
君の言の葉もえ聞かで
何百何千、渡りゆく
雪降る季節のらうたさぞ
 
小夜ふけるころ夢見つつ
着水の音のまぼろしに
驚きて川辺見回すほどに
君のすがたを眺めばや
 

(現代語版)

白い翼を陽に広げ
水を弾いて川で過ごす
どこからあなたは来たのかと
問うけどいつしか北へ立つ

青を仰いでよろめいた
絹いとのように柔らかい
翼のたわめき、温かい
冬の陽射しに輝いて

卵を見たことなどなくて
あなたの言葉も聞けなくて
何百と何千と渡りゆく
雪降る季節の愛しさだ

小夜ふけるころ夢見つつ
着水の音のまぼろしに
起きて川辺を見回すほどに
あなたの姿をまた見たい

(中文版)

天鵝的蛋

將白色的翅膀伸向太陽
玩水,渡河
你從哪里來?
問,但你會去北方

我抬頭看著藍色
柔軟如絲線
拍翅膀,溫暖
閃耀著冬日的陽光

我從未見過一個雞蛋
我聽不到你的話
成千上萬,你飛
這是下雪季節的愛情

一邊做夢一邊睡覺
我聽到你著水的幻覺
起床,環顧四周河邊
我想再見到你