2019年 6月 の投稿一覧

田村ふみ乃『ティーバッグの雨』一首評 その2(執筆者:久納美輝)

  褐色の翼鏡(よくきょう)刻む鳳凰の硬貨一枚握りしめいつ

現代は文章を読むよりも、映像を観たり音楽を聴くことに時間を費やす人が多いとおもう。特に1989年以降に生まれた人、つまり平成生まれは、その傾向が強くあるだろう。

若者の活字離れが叫ばれてひさしいが、文字をじっくり読んでいくよりも、チカチカ光る画面を見つめたり、イヤホンを耳に突っ込んで音楽を聴いた方が、楽であるし、確実にドーパミンが出るから当然と言えば当然だ。

また、読書は一人でしなければならず、映像や音楽と比べて人と同じ体験を共有しにくいという欠点もある。複数人で同じ体験を共有することが重要視される現代ではどうしても読書はあと回しにされがちなのだろう。個人的には他人と同じ体験を共有できないことこそ、読書の楽しみではないかとおもっている。

読書をしていると、黙読していても頭の中で音読している自分がいる。この声を私は「うちなる声」と名付けている。

速読する場合はこのうちなる声を聞いてしまうと読むスピードが遅くなるので、ひたすら目を動かして情報の理解に努めなければならないと聞く。

しかし、本を情報収集のためでなく楽しむために読むときにはこのうちなる声に積極的に耳を傾けたい。なぜならその文章が持つ語感やリズムの良さに気が付けるからである。

引用歌なら「色」「鏡」「鳳凰」「硬」の部分は押韻している。不思議なことに自分の声で読み上げたときには、これらの押韻に気がつけなかった。声を出す、その声を聞くという行為が読みを阻害していたのかもしれない。

このように黙読して音韻に気がつくということが何度もあるので、短歌を朗読することにあまり好意的ではない。

作品が作者の実際の声で再生されてしまうという問題点もある。どんな作品でもその作品なりの声やリズムを持っている。その声を作者の声が方向づけてしまうことは、テキストだけで世界を構築していく文学作品の強度を弱めてしまう行為なのではないだろうか。

また、論点がずれてしまうが、作者が作品を読み上げてしまうと、その人の容姿や声の良さで作品が1.5割増しにみえてしまうこともある。残念ながらその逆もある。そういった部分で作品を評したくはない。あくまで同じ音韻を繰り返すことによって生み出される統一感、語感の良さ。それのみで作品を鑑賞したいのである。

田村ふみ乃『ティーバッグの雨』一首評 その1(執筆者:久納美輝)

  かの日より前の三陸鯖水煮(さばみずに) 缶を空ければしろがねの胎

文学作品を大まかに二分すればヒューマニズムとフェティシズムに分けられるとおもう。この分類は大雑把で議論の余地があるとはおもうが、要するに自分の感情を直接書いたものか、自分を取り囲む客体に感情を投影して書いたものかということだ。

では、田村ふみ乃はどちらかと聞かれば、フェティシズムであると答える。なぜなら、一冊のなかに一人称はほとんどなく、喜怒哀楽もほとんど示されていない。自分の体験を書いているとおもわれる歌でも、どこか他人事のように詠まれている。自分を客体として描いているのである。

歌集には、不妊治療を受けているであろう作者の姿が描かれている。連作から良い結果が得られていないであろうことが伺い知れるのだが、そのことについて、悲しさや虚しさや不安といった感情が直接描かれない。ただ自分に厳しい現実を突きつけている。

そういった歌集の流れから、引用歌の「しろがねの胎」を作者の胎盤と重ね合わせてしまう。缶詰はそのなかに食物を保存している間のみ用をなし、食事のあとには捨てられる。その缶詰と自分を重ねあわせるのは、自分に対して辛辣すぎるのではと感じる。

しかし、自分を徹底的に突き放すことが作者の矜持ではないか。哀の感情を示せばそれについて共感し、励ましの言葉を掛ける読者もいるだろう。だが、同情する他者というのは他人の痛みに無関心で、どこか自分はそうではないというエゴを持っている。痛みは他者の言葉で簡単に癒やされるものではない。そのため作者は、体験を自分から切り離し、痛みを希釈することなく一首のなかに保存しているのである。

「かの日」「三陸鯖水煮」という部分にも注目したい。これは東日本大震災のことを詠んでいるのだろう。震災後の私たちは「あの日」「フクシマ」「三陸沖」という単語が出ただけでなにか不吉な感じがしてしまう。100年後の読者はこうした単語を見てもなにも感じないに違いない。歌が時代背景と密接に関わっていることを再認識させられる。

多数の命が奪われてしまった震災と個人の体験を一首の中で並べてしまうことに違和感を感じる読者もいるかもしれない。しかし、作者は被災者の痛みと自分の痛みを同じものとして感じているわけではない。被災者が震災前に戻りたいとおもうように、自分も不妊治療をする前に戻りたいというノスタルジアを感じているのである。

過去には決して戻ることができない。かの日より前の時間を保存している三陸鯖水煮から古酒のような深い味わいが感じられたことだろう。

安西冬衛、てふてふが一匹(執筆者:加藤孝男)

夜更けに、安西冬衛(ふゆえ)の『軍艦茉莉』を読み返していると、表でホトトギスが啼いた。忍び音のようなので、初音かもしれないと思った。でも、今年最初のホトトギスかどうかは自信がない。今日は6月4日、深夜2時である。山の多いこのあたりでは、毎年初夏になると、ホトトギスが啼く。

古来、ホトトギスと言えば、大伴家持などの歌も連想するが、最も有名なのは藤原実定の、

  ほととぎす

  鳴きつる方を眺むれば

  ただ有明の月ぞ残れる

という歌である。百人一首にも採られているので、多くの人が知っているだろう。ホトトギスが鳴いた方角を眺めると、そこには明け方の月がかすかに残っている。そんな歌である。音声を映像に変えてしまった歌ともいえよう。

私は先ほど、『軍艦茉莉』を読んでいたといったが、これは昭和4年に刊行された詩集である。この表紙の題字を詩人の西脇順三郎が、そして、表紙画を順三郎の妻、マージョリが描いている。西脇といえば、日本にシュールレアリスムをよびこんだ人である。

この時代の芸術の流行は、フランスのアンドレ・ブルトンなどが提唱したシュールレアリスムである。西脇はそうした芸術運動を大正期に、ヨーロッパから持ち帰り、日本で詩の革新運動を起こそうとしていた。しかし、シュールといっても、一定の形をもつものではない。安西冬衛の有名な作品に、

  てふてふが一匹韃靼(だつたん)海峡を渡つて行つた。

というのがある。これはまさに西脇風に解釈するのであれば、「てふてふ」という、か弱い生き物と、韃靼海峡という荒涼たる海が、一行のなかで合成されている。これは西脇のよくいう、遠いイメージの連結である。

まったく異質なものが表現の上で結びつくことによって、そこに新しい関係性が生み出されるのである。この関係性は、とうてい自然のなかにはあり得ないものも生む。それゆえに、現実を超えたシュール・レアリスム(超現実主義)なのである。

しかし、この詩はあまりにも単純すぎるので、『軍艦茉莉』からもう一篇を引用しよう。

    再び誕生日

  私は蝶をピンで壁に留めましたーもう動けない。幸福もこのやうに。

  食卓にはリボンをつけた家畜が家畜の形を

  壜には水が壜の格好を

  シュミズの中には彼女は彼女の美しさを

これもよく知られた詩といえるのかもしれない。しかしこの詩は解釈がラビュリンスに入り込む。「再び誕生日」というのは、この詩の前に「誕生日」という詩があるためで、もう一度、誕生日について述べますという。

「私は蝶をピンで壁に留めました」という時の蝶のイメージは、あこがれていた人と、ついに一緒に住むことの出来た喜びである。その女性の誕生日を祝っている。食卓にあるのはリボンをつけた鶏の丸焼きで、壜にはお酒ではなく水が入っている。そして、彼女は、スリップのようなものをつけて、その美しい体を収めている。それぞれが、それぞれの場所で、所を得ているのだ。

女性は、誕生日ごとに大人になっていく。「美しさを」などといわなくても、十分にエロチックである。

蝶をピンで止めるという行為を、女性を手に入れた喜びと置き換えると、イメージのなかで結びつく。オーブンで焼かれた鶏と、壜のなかの水が、最終行の彼女のイメージを規定する。どこかボンデージ風の趣がある。複雑に入り組むイメージを一篇の詩に収めている。

さて、夜が更けてきた。ホトトギスが、鳴いたのはそのような時であった。

  ほととぎす

  鳴きつる方を眺むれば

  ただ有明の月ぞ残れる

この歌が新たな解釈として甦るのも、昭和初期のシュール・レアリスム運動を経てからなのであろう。この和歌をシュール的な解釈で読み取るならば、二つのイメージの連結である。上句がホトトギスの声であり、下句が明け方の月のイメージである。この二つが結び合わされることで、月並みな自然というものに、新たなイメージが付加されたのである。

韃靼海峡を渡る蝶ほど離れすぎてはいないが、そこにあるのは音声と視覚とのドラマであって、わずかではあるが、現実から逸脱してゆこうとするイメージがそこに創造されたのだといえよう。

大英博物館の春画展(執筆者:加藤孝男)

今、大英博物館で、日本のマンガ展が開かれている。マンガは、ロンドンだけでなく世界中で人気があるが、これは日本と世界とを結びつける合言葉のようになっている。

大英博物館で思い出すのは、私がロンドンにいたとき、春画展が開かれたことである。これは世界でも最初の春画展といわれ、大きなインパクトを与えたようだ。当然、私も見に行った。

実を言うと私のいたロンドン大学のすぐ隣がこの博物館なのであった。私は思考が煮詰まると、いつも博物館のなかを散歩してまわっていた。

大英博物館は寄付こそ募ってはいるが、入館は無料で、館内は広い上に、貴重な展示物が所狭しと並べられている。まさに散歩には都合のいい場所である。世界中から観光客が集まってくる。

私のいた大学は、博物館の裏側にあるので、私はいつも裏口から館内に入っていた。そうすると、まず、中国の青磁器などを並べたコーナーに入って行く。人もあまりおらず、静謐な感じがしてこころが落ち着く。もちろん日本の展示物を展示した場所もあるが、日本人からみると、日本的な場所とはとうてい思えないのである。しかし、日本への郷愁がつのってくると、こうした場所も、ひとつの癒やしとなっていた。

博物館には、有料のスペースがあって、春画展もそのスペースで行われた。有料だと入場をためらってしまうが、この春画展は大盛況だった。このニュースは日本にも伝えられていたようだ。我々日本人でも見たこともない男女の絡みのシーンの描かれた絵がほとんどだったが、やはり装飾がきらびやかで、強調されたイチモツよりも、そうした絢爛さに眼を奪われてしまう。

ちょうどこの開催時期に日本から私を訪ねて、社会人講座の生徒さんたちが来られたので、展覧会に案内した。日本ではお蔵の中にしまわれ、ひそかに鑑賞していた絵画が、白日の下にさらされていて、「見ている人の方もおもしろいわ」といった具合である。むろん16歳以下は父兄同伴といった措置もとられていた。

面白いのは、春画というものを、芸術とみなす考えが、この時点までなかったのである。しかし、この展覧会以降、春画も、芸術としての市民権を得たといえる。こうしたお墨付きを得て、翌年、日本の永青文庫が春画展を開いた。そうした動きがもっと広がってもいいように思えたが、この一回限りであったように思える。

ロンドン大学の教員で、日本の絵画の研究者、タイモン・スクリーチ氏と親しかったので、この展覧会の裏話などをよく聞いた。この先生は春画の本も書いていて、そのタイトルが『片手で読む江戸の絵』(高山宏訳)である。片手で読むといったところが、意味深だが、スクリーチ氏は、この展覧会の仕掛け人の一人であった。いつもパワフルで、世界を飛び回った話ばかりしていて、羨ましい限りであった。

でも、私が「ロンドンの春画はどうですか」と尋ねると、口をつぐんでしまわれる。実はヨーロッパといえども、セクシャリティーについては、まったく考え方が違うのである。フランスに比べても、イギリス人の考え方はストイックで、決してオープンとはいえない。いかがわしい看板などは、表に出ていないのである。

それでも興味をそそられるのは、ロンドンという場所が、民族のるつぼになっているところである。そうであってみれば、いろんな文化がそこに集まる。いつのことであったか、私の目の前を、多くの全裸の男女が自転車に乗って通り過ぎて行ったことがあった。

それは白昼の稲妻のように衝撃だった。一緒にいたイギリス人の女性は目を被ってうつむいてしまった。でも、こうした重層性のなかにロンドンという街の魅力がある。

これも最近のニュースになったことだが、ロンドンで、古いパブがヌーディストパブとして開放されるというのである。おそらく日を決めて、裸になりたい人たちに店を開放するのであろう。日頃鬱屈して暮らしている人々だから、こうしたときにぱーっと裸をさらすのである。

かといって、ロンドン人たちが全て享楽的なわけではない。むしろ保守的であるといっていい。文化が入り組み、その意味でダイバーシティなのである。北海道とおなじくらいの緯度にあるから、南国のような街では決してないが、夏の陽が照ると、水着になって、熱心に甲羅干しをする人々の姿をよく見かけることがあった。それはやるときにはやるぞ、という気っ風のようなものであって、みていて気持ちがよかった。