2019年 7月 の投稿一覧

中城ふみ子 短歌解説その54(執筆者:田村ふみ乃)

埃ふくガードの下の靴みがき目あげて田舎ものわれを見透す 

1952年2月「新墾(にいはり)」

戦後の復興期の東京。帯広からひとりで上京してきたふみ子は、靴のよごれが気になり、みがいてもらっていた。「ガードの下」は電車の高架下か。うす暗さのなかで「靴みがき」がちらっと自分を見上げた視線に、「田舎もの」であることを見抜かてしまった、とたじろぐ。 

夫と離婚して二十日あまりが過ぎた1951年10月24日、ふみ子は実家に子供たちを置いたまま、その行先を両親には言わず、家出同然で上京する。なぜこんな行動をとったのか。

ふみ子のよき理解者で、歌人の舟橋精盛(せいもり)は、彼女が東京へ発つ前、家族へ宛てた手紙を預かったという。その時の話が、のちに舟橋が主宰する「鴉族(あぞく)」の結社誌に記されている。

かいつまんで書くと、むかしふみ子の家で奉公していた店員がおり、独立後、商人として成功したその男が「妾(めかけ)になってくれないか」と、ふみ子を口説(くど)いた。それにひどくプライドを傷つけられた彼女は、とても怒っていたという。そして子供を連れての出戻りは、実家でも居心地が悪く、色々とトラブルもあり、何とかして自活できる技術を東京で身につけたいと、彼女から告げられたとある。

「埃ふく」は、歩き回ってよごれた靴をきれいに拭いてもらっている情景だけでなく、人でひしめき、土埃(つちぼこり)が吹き上がる東京の人情味のない渇いた町の雰囲気も伝える。歌のトーンの暗さからして、彼女の新生活は思い通りにいっていない感じがする。

中城ふみ子 短歌解説その53(執筆者:田村ふみ乃)

父の匂ひ忘れし子らが窓にかけて青き林檎に立つる歯の音 

1952年8月「新墾(にいはり)」

子供たちが窓の台に腰をかけて青い林檎にかじりついている。小さな歯がしゃりしゃり立てる鋭い音が、読み手の耳にも食いこんでくるようだ。 

この作品が発表された前年の1951年10月に、ふみ子は夫の博と離婚した。末の子は博が引き取ったので、この「子ら」というのは、9歳の長男と6歳の長女のことで、林檎の青さに子供たちの幼さ、未熟さを浮かび上がらせる。

「父の匂ひ忘れし子ら」といっているが、いくら母親であっても、本当にそうなのかはわからないはずで、それをあえてこう言い切ったのは、子供たちが父親に会いたがっているのをわかっているからだ。かつて家族5人で暮らしていたときのふみ子の日記には、博が子供たちを可愛がっていた様子が書かれている。だから息子も娘も博を嫌いなわけがない。

ここにある作者の思いは、子供たちが父親のことを忘れてくれたら、淋しい思いをさせてしまっていることへの罪悪感から解放されるという身勝手な考え方だが、しかし母親の苦しみをみる。また3句目の「窓にかけて」は「て」を入れなければ定型に収まるところを、あえて字余りにしリズムを崩している。そこにも作者の胸の内には収まり切らない子供に対する申し訳ないという気持ちが表れている。

中城ふみ子 短歌解説その52(執筆者:田村ふみ乃)

悦びの如し冬藻に巻かれつつ牡蠣は刺(とげ)を養ひをらむ 

1954年4月「短歌研究」 

乳癌で両方の乳房を摘出したが、怖れていた癌の転移が肺にみつかり、ふみ子は放射線治療を受けるため1954年1月から札幌医大へ入院する。すでに症状は進んでおり、咳だけでなく血痰も出ていた。

しかし、彼女は病院のベッドでただ死を待っていたわけではない。病気のことを考えると、心が塞(ふさ)ぐだけなので発想をこう転換する。今、自分がおかれている状況は、厳しい冬を氷下で過ごす牡蠣と同じなのだと。牡蠣は冷たい海底で冬藻に巻かれながら命の刺をいっそう尖らせて、うまみや栄養を蓄えてゆく。わたしも冷たいベッドで過ごしているあいだは自分を磨く悦びの時間として、歌を作りながら、生きられるだけ生きようと思い直す。

北海道に生息している毛牡蠣は、殻のほとんどの部分が黒いパイプ状の刺で覆われており、作者はこの牡蠣に自らの心情を重ねて詠んだのだろう。

こうした状況がわからないと理解しづらい歌ではあるが、心理的に読者を立ち止まらせる力をもつ。塚本邦雄はふみ子が亡くなった翌年、昭和30年の「短歌研究」1月号の「短歌の判らなさについて」のなかで、「僕は誰も褒めなかったこの一首をこよなく愛する」と述べている。

掲出歌は1954年7月に出版された『乳房喪失』(作品社)には収められていなかったが、1976年2月に『定本 中城ふみ子歌集 乳房喪失ー附花の原型』(角川書店)が上梓された際、再度編集に携わった中井英夫によって歌集に加えられた。

中城ふみ子 短歌解説その51(執筆者:田村ふみ乃)

口つぐむ人らの前を抜けて来つ禁句の如きわが存在か 

 『乳房喪失』 

夫との別居を機にふみ子は、以前から恋心を抱いていた妻のいる大森卓と急接近する。そしてその親しさをひとりの胸には収めず、大森を想う歌を結社誌「山脈(やまなみ)」で発表したり、結核を患っていた彼を頻繁に見舞ったりしていたので、ふたりの関係は歌の仲間だけでなく、病院や近所にも知れわたっていた。

大森と別れた後に夫と離婚すると、二十九歳だった彼女は今度は年下の恋人をつくる。幼いふたりの子供を育てるため、実家の呉服店の事務員として働いていたシングルマザーのふみ子の恋愛は、奔放な行為としてなにかと周囲に陰口をたたかれた。

そんな彼女が、立ち話をしている人らの前を通ると、みな一様に黙りこむという。それは自分の噂をしていたからで、だから「禁句の如きわが存在か」とうたう。しかしそこには、自己の欲求に正直に応じて生きている私のほうが正しいのだと、ユーモアや誇張を交えながら世間を非難するふみ子の声がある。

また、三句目の「来つ」の意思を表す助動詞「つ」の強い響きに、そうした人らの視線のなかを堂々と通り抜けて来た。これからも己の道を進んで行こうとする作者の姿をみる。

特に不倫は今も激しい攻撃を受けるが、道徳的なものだけで心を縛ることはできないし、文学の上ではなおさら縛ってはいけないと、私は思う。

中城ふみ子 短歌解説その50(執筆者:田村ふみ乃)

救ひなき裸木と雪の景果てし地点よりわれは歩みゆくべし 

1954年3月「凍土」

死を覚悟した作者の胸中に去来したものは何だったのか。それは残された切実な時間を精一杯生きること。その思いを結句の「べし」で強める。

癌で両方の乳房を切除したが、他の臓器への転移の疑いもあり、放射線治療に最後の望みをかけて札幌医大へ入院した。その病室からみた景色かもしれない。

すべての葉を落とし樹皮も剥げてしまった裸木に、救いようのない自身の姿を重ねているのだが、そんな状態の木もまた葉を繁らせるのだ。自分も雪が融けた地点からふたたび歩きだそうと決意する。

1954年3月に「凍土」が創刊された。「凍土」とは、ふみ子が参加していた結社誌「新墾(にいはり)」の仲間で、北海道新聞の記者・山名康郎(やすろう)が、短歌界の封建的な長老支配体制を打破しようと、同じく「新墾」の宮田益子とつくった同人誌である。

山名はふみ子より3歳年下で、宮田はふみ子より7歳年上。宮田は1951年まで帯広にいたので、ふみ子とは面識があった。そのふたりが、ふみ子に「凍土」の発起人になってほしいと頼み、ふみ子が「どうぞお仲間に加えてくださいませ。(中略)なんとなくもう少しの命のような気がして今の中にしたいことは、しておきたい、何かの形を残しておきたい、と思うようになりました」と応えた手紙が残っている(小川太郎著『聞かせてよ愛の言葉を』)。

ふみ子は結社の重鎮たちに睨まれることを覚悟の上で、掲出歌が含まれる「冬の海」と題した11首を「凍土」の創刊号に寄せたのだ。

モーターガレージ(執筆者:久納美輝)

駐車場を一面パンダの埋め尽くす社用車としてあるプロボックス

Suchmos(サチモス)をBGMにひた走るヴェゼルは霧の首都高速を

ウユニ湖の水面と水面の虚の空の境を走るランクル70

ガムテームだらけでほのかに汗臭きビニールシートの祖父のヴィヴィオは

ハスラーとランクル掛けしごと派手なカラーでゴツいFJクルーザー

社用車を他社と比ぶ御社はアルト弊社はアクアやや嫉妬せり

パジェロとう無骨な名とは裏腹にクラシカルなるフライングパグ

排気量0.66悪路ゆく軽だが岩場を登れるジムニー

軽なのにスポーツカーのS660(エスロク)は軽なのに価格200万超ゆ

オフィスにて(執筆者:久納美輝)

オフィス

机(き)の上に小型の醤油ボトル置く 退職代わりに自決せむため

左手でちぎりて落つる髪の毛を床に払いて仕事を始む

同僚のミスを見つけて報告す上司の見らるる全体チャットに

隙あらばマウントを取る癖隠し後輩指導すチャットは難し

洗濯をせぬ服を来てスメハラの議題のあがる会議に参加す

アイコンを自画像に変え反応のなければハンコの画像に変える

菓子ばかり食う社員とぞ後ろ指刺されつつ柿ピー5袋目開く

隣席の人がティッシュに菓子を出し吾は手を伸ばし吾のものとせむ

昼休みのココイチ5辛の肛門のいぼ痔に障り午後半休す

二缶目のコーラ飲むとき隣人に名を呼ばれればゲップで答う

機械仕掛けのたばこ人形(執筆者:久納美輝)

一時間経つと葉巻に火を付けてぷかぷかと吸うたばこ人形

表情はきれいきたないかわいいの3Kを混ぜたグレーの夜人形は

ぷすぷすと焔が消えて床板の跳ね上がり出る煙りたがりさん

十字架に架けられてなお大麻吸う人形の目にある五寸釘

首を断つペーパーナイフが水平に動きて馬から落ちる騎士(ナイト)は

隙間からぶどう酒もれて白ひげのひげを濡らして赤く染めゆく

銀の皿からあふれゆく血をうけてカップの白湯は赤く染まりき

「さんざしは笑っていない」腐葉土にアイスの木挿しラットの墓標

二週間洗っていない洗い場をうねうねと這うハエの子供は

ハエの舞う部屋に積まれし人形の丘に日々寝るハエの王様

中城ふみ子 短歌解説その49(執筆者:田村ふみ乃)

ひざまづく今の苦痛よキリストの腰覆ふは僅かな白き粗布のみ 

1954年6月「短歌研究」

人は死を前にすると、信仰に救いを求めようとする。ふみ子も神の前にひざまづき心を鎮め、浄めようと試みたものの、この「苦痛」が消えることはないと訴える。

彼女の視線は、キリストの下半身を覆っている白い粗布(そふ)にいくが、心の目でみているのは、その粗末な布に隠ぺいされた男性性器。みずからの死が間近にせまっていようが、捨てきれない女の性(さが)をみせ、神によっても救われることのない愚かな女の姿を映しだす。

また、これまでの生き方を死をもって贖罪(しょくざい)とする考え方に対して、どこか懐疑的な様子もうかがえる。しかしこれは、ふみ子が信仰を軽視しているのではない。そもそも宗教に救済を求めていないのだ。

彼女が父親に宛てた1954年5月14日付の手紙にこうある。「隣ベットの小母さんが牧師夫人ですから私も祈るという言葉を真似します。ただ最後まで相容れない点は奥さんの神はキリスト特定のひとりであり私の神は自身の内部にある何かでありますが祈るといふ言葉は同じです」(柳原晶著『中城ふみ子論』)

キリストの前にひざまずいても、彼女の肉体的・精神的苦痛は消えなかったのだ。ふみ子の書き遺した短歌の手帳には、何首かキリストは詠まれているが、救世主のようには描かれていない。

では、キリストをどうみていたのか。『乳房よ 永遠なれ』(若月彰著)に、ふみ子がこう言っていたとある。「この、きたない人間のままで死んでいいと思つているの。だつて、頼れる神様もいないんだもの……キリストだつて男でしよ、わたしは自然の女のままで死にたいのよ……聖書をもらつたけど、何んだかぴつたりしないのよ。ただ文学的な参考になると思つて読んでいるだけ」

彼女にとってのキリストとは、胸のうちを聞いてくれる男性のひとりにすぎなかったのかもしれない。そしてすでに悟っていたのだろう。自分は歌を詠むことでしか救済されないのだということを。

後背(執筆者:久納美輝)

自らをクズとは言うな目の前に詠草あらばみなわれの友

惚れやすく会う人すべてを好きになる主婦に言いけり結社は任せろ

自己不全感があるから愛せるぜ君も君の愛しし俺も

なめらかなテーブルクロスにぽつぽつとあるソースこそ吾は描くべし

文学はなべて許容す見せてみよジャン・ジュネ超える認知のゆがみを

会社員、主婦、フリーターなどさまざまな後背のたりと集まる歌会

九官鳥一匹飼いて失言をするたび肩をつついて欲しかり

後背の理解に費やしいい歌か問われれば吾は言葉をうしなう

後背をすこんと抜けば人類も浴槽に浮く垢とおもえり

マイノリティマジョリティとの区別せず吾は受け入れる他者のすべてを