2019年 11月 の投稿一覧

中城ふみ子 短歌解説その79(執筆者:田村ふみ乃)

ゆつくりと膝を折りて倒れたる遊びの如き終末も見え 

1954年6月「短歌研究」

死ぬってどんな感じなのだろう。この歌には、役者であるふみ子と、もう一人演出家でもあるふみ子がいて、声にならない声をあげ、膝(ひざ)を折り曲げてベッドの上に様々なポーズで倒れこんでみる彼女の姿を思い浮かべる。

まるで公演間近のお芝居の稽古をしているかのようだが、まさにこれは、刻々と迫る「死」の舞台の幕が上がる直前なのである。

「遊びの如き終末」と、自分の最期を遊びのようなものだというが、人生なんて所詮、お遊びに過ぎないのだからといって、自身を慰める気持ちもあるのかもしれない。

出だしの「ゆつくりと」の語意に合わせて、焦らずに結句まで言葉が運ばれている。句と句のあいだには沈黙があり、そこに本当は諦めきれない生への叫びを聴かせる。

そして彼女の鋭い自己凝視は、「死」への道程(みちのり)を悲劇的に強調するのではなく、「遊びの如き」で自虐性を出し、面白味をそえる。

「生」の最大のテーマともいえる「死」をどううたったらよいか。そこに挑戦する姿勢が歌に表れており、意欲作のひとつだ。

はたして格好良い死に様なんてあるのだろうか。ふみ子は「死」を生きる目的として、ど真ん中に見据え、その日が来るのを楽しいイベントを待つかのように詠み続けた。

中城ふみ子 短歌解説その78(執筆者:田村ふみ乃)

背のびして唇づけ返す春の夜のこころはあはれみづみづとして 

1952年8月「新墾(にいはり)」

「唇(くち)づけ」とはキスのこと。彼から受けたキスに背のびをして作者もこたえている。そんな「春の夜」の心の透明感が「みづみづ」に表れている。

言葉と言葉のあいだに光をはらみ、歌がきらめいている。また「の」「づ」「は」「して」のリフレインによって、韻律にゆだねられてこそ生まれる映像があり、1首が美しい。

初句から2句にかけて、ふたりの身長差を思わせる。この彼は、のちに婚約する木野村英之介だ。木野村の身長は173センチメートル、ふみ子は小柄だったので、この描写は作り事ではない。作者はおそらく踵(かかと)の高い靴を履いている。そして背のびしてキスをする自身の容姿を映画のワンシーンのようにみせて誇っているのだ。

ふみ子が乳癌だと初めて診断されたのは、1952年2月。4月上旬に手術を受け、退院はその1か月後だった。そうすると「春の夜」は、乳癌を知ってから手術を受けるまでのことである。

この歌は退院後に詠まれており、乳房があった頃のシルエットを思いみて詠んでいるのかもしれない。春の活発な生命の営みのなかで、あの時の抑え切れなかった欲情を「あはれ」といいながらも、結句に「みづみづとして」をもってきたところに、彼女の生き生きとした普遍的な内面をみる

月光のワルツ(川岸 直貴)

月の下であなたと
ふたり踊るワルツを
あすもきょうも忘れて
兎たちとお茶しよう

赤い口紅(ルージュ)で染めて
蝶の揺飾(フリル)を留めて
森の中は琴風弦(ヴァイオリン)が
鳴り響いて小鳥たちも歌う

Ru-tatta-Ru-tatta-
月の涙
Tu-chacha-Tu-chacha
帰り道はどこ

冷たい朝の空気を吸い込んで
罪も穢れも落としてゆく
こころに流れる朝を感じる
あなたの長衣(ローブ)の中で

乳白(ミルク)色の陶器を探しましょう
天蚕糸の髪を洗いましょう
夢の泉のほとりで
剣の舞いをしましょう

海月の表情は新月に変わる
満ちては欠ける道の途中
霧のあなたの幻想を見た
死体になった切株の上で

中城ふみ子 短歌解説その77(執筆者:田村ふみ乃)

くろずみし朱肉に離婚の印を押しむなしき明日の冒頭とする 

『花の原型』

離婚届に印鑑を押したばかりの心境をうたっている。結婚後、10年近く使ってきた印鑑ケースの中にある朱肉なのだろう。だいぶ、くろずんでいて、その赤黒さが夫への愛憎を思わせる。

1年半に及ぶ別居を経て、ようやく離婚ができたというのに、ただむなしいと打ちあける。が、読み応えのある言葉運びに、すべてを引き受けて生きていこうとする力強さを感じる。

複雑な私生活を読み手に覗きみさせるようなワンシーンの切り取り方や、抑制的な詠み口には工夫の跡がみられる。詠うべきものは逃さず詠う、そうでなければ「中城ふみ子」は生まれなかっただろう。

彼女の創作活動は、離婚を機に本格化する。男性優位の社会意識のなかで、すぐれた女性歌人を輩出していた「女人短歌」の会員に、ふみ子は離婚した月になっており、その4ヵ月後には帯広放送作家グループにも入会している。乳癌とわかったあとも創作意欲は失せず、彼女の随筆や原作ドラマはラジオで何度も放送され、中城の姓のまま活躍の場を広げていった。

ふみ子が旧姓に戻さなかった理由については、歌の仲間で、彼女が信頼をおいていた舟橋精盛(せいもり)が、ふみ子から直接聞いた話として、「現在の幸も不幸も結婚生活から発端してゐるんであるから中城といふ姓に愛着を捨て切れない」と、書き残している(「鴉族」)。

人生を悲嘆しても仕方がない。みずからの明日へ勇気を与えるために文学がある。そうして人は物語を作り、歌を詠み続けてきたのだ。

中城ふみ子 短歌解説その76(執筆者:田村ふみ乃)

無き筈の乳房いたむとかなしめる夜々もあやめはふくらみやまず 

1954年9月「短歌研究」 

癌に侵され、両方の乳房を切除したにもかかわらず、乳房があった時と変わらない、いたみを覚える。誰かを愛する切なさに「いたむ」のだ。作者の性の熱量は、あやめの生命力となって豊麗な胸をよみがえらせる。

作者は死を前にしても、その苦悶(くもん)の顏を歌に露骨にさらすことはぜず、夜々(よよ)とあやめの妖しげな色をもって、女の性を印象づけるかのようだ。

こんな手紙が残されている。ふみ子が亡くなる9日前まで、彼女の病室で約20日間過ごした若月彰が、帰京する車中で彼女に宛てたこの歌の改作案である。手紙が書かれた日時は、7月25日の夜8時30分となっており、「中城さん。今朝の話の続き」から始まっている。

手紙で若月が「何故甘いのか、考えてみました」と、いくつか指摘していることから、 おそらくふみ子は、若月が東京へ帰る日の朝、掲出歌をどこか甘い気がするなどと言って、彼にみせたのだろう。

例えば、2句目の「『と』」は説明過剰の気味があ」るや、「『かなしめる』に甘い原因があるのじゃないか」「観念的にしないで何んとか具体的な現実描写ができないものか」。そして「次のような訂正作は如何ですか」と、「無き筈の乳房痛みて 眼覚めたる」など提案している(柳原晶著『中城ふみ子論』)。

ふみ子が若月からの手紙を読んだかどうかはわからないが、結社誌「鴉族(あぞく)」の遺稿として、1954年9月に掲載されているのは、「無き筈の乳房いたむと覚めし夜ふるさとに亜麻の花咲き揃ふらし」。下の句も変わっているが、掲出歌のほうが詩的に洗練されているように思う。しかし、最後まで自らの技法をブラッシュアップしようとし続けた作者の姿が心をとらえる。

【告知】同人誌「くわしんふう」創刊(投稿者:久納美輝)

みなさんに告知があります。第二十九回文学フリマ東京(2019/11/24(日))のツ-9ブースで、「くわしんふう」という短歌同人誌を出します。内容は以下のとおりです。

◎作品十二首+エッセイ「自分の好きな歌とその思い出について」
佐巻理奈子
伊藤いずみ
田村ふみ乃
染野太朗
荒川梢
山田ゆき
浅井美也子
北山あさひ
立花開
久納美輝

◎作品十二首
田口綾子

◎歌集評
山川藍『いらっしゃい』歌集評 佐巻理奈子
田村ふみ乃『ティーバッグの雨』歌集評 久納美輝
田口綾子『かざぐるま』歌集評 山川藍

編集発行:立花開、久納美輝

Q.花信風 (くわしんふう)とは?
花の咲くのを知らせる風、初春から初夏にかけて吹く風のことを意味します。「まひる野」の若手の魅力を伝える風のような存在になりたいと思っています。

「まひる野」にはまだまだたくさんの若手歌人がいます。「くわしんふう」がこれから長く続き、そして愛される同人誌であることを願っています。

中城ふみ子 短歌解説その75(執筆者:田村ふみ乃)

母を軸に子の駆けめぐる原の昼木の芽は近き林より匂ふ

1951年6月「新墾(にいはり)」

暖かい日差しのなかで、新芽の匂いを感じながら作者は敷き物の上にでも座っているのだろう。自分の周りを駆け回る子供たちを、目を細めて見ている光景が浮かんでくる。

一見、幸せな生活を送っている母と子に思えるが、この時ふみ子は夫と別居中で、幼い三人の子供を育てていた。母親として子供たちをどこへどう導いていけばいいのか、不安が消えることはなく、いくら考えても答えの出ない堂々巡り。そんな作者の心情が、自分を軸にぐるぐる駆けめぐる子供たちの様子に映し取られているように思う。

掲出歌は、第2歌碑として1983年8月3日に、帯広を代表する広大な敷地をもつ緑ヶ丘公園に建てられた。碑は春楡(はるにれ)や水楢(みずなら)、柏(かしわ)の原生林の丘にあり、リスが群れていることもあるという。

毎年ふみ子の命日に、第1歌碑(帯広護国神社境内)と第2歌碑の前で交互に「ふみ子忌・献歌祭」が、「中城ふみ子会」の会員の尽力で行われてきた。午前10時50分、ふみ子が亡くなった時刻に黙祷が捧げられて始まり、参加者が短冊にしたためた自作の歌を詠み、ふみ子を偲ぶ。

2016年8月3日、「第62回ふみ子忌・第36回献歌祭」に参列した。その日は、30度を超える暑さにもかかわらず、二十数名が集まった。黙祷の間、鳥のさえずりが響きわたり、林の匂いを濃く感じた。そして冒頭の歌がゆっくりと読みあげられてゆく。

不世出(ふせいしゅつ)の歌人に魅せられた人々の熱き思いは、今後も決して薄れることはないに違いない。