2020年 4月 の投稿一覧

文学は無用なのか(執筆者:久納美輝)

家にある『忘れられる過去』。なぜかカバーがない。

知り合いがYouTuberをやっていて、仕事を早く終わらせる方法や、仕事ができない人の特徴などいわゆるライフハック関連の動画をあげている。その知り合いがSNSで「読書は小説を避けて有用性があるものを中心に読んでいる」というようなことを言っていた。その投稿は、小説が嫌いなわけでなく、むしろ好きという内容に続くのだが、はたして小説、大枠で捉えれば文学は無用なものだろうか。

有用性がある本というのは、つまり収入が上がったり、なにかができるようになるといった効果が目に見える、実感できるもののことであろう。実際、そういった情報は魅力的だ。自己啓発本の表紙は巧みに人の射幸心を煽るようにできていて、実際、本に書かれていることを実践しさえすれば、ある程度の効果を期待できる。では、文学作品を読むことで得られることとはなんだろう。

荒川洋治のエッセイ集『忘れられる過去』の「文学は実学である」にはこんな事が書かれている。

この世をふかく、ゆたかに生きたい。そんな望みをもつ人になりかわって、才覚に恵まれた人が鮮やかな文や鋭いことばを駆使して、ほんとうの現実を開示してみせる。それが文学のはたらきである。(中略)漱石、鴎外ではありふれているというのなら、田山花袋「田舎教師」、徳田秋声「和解」、室生犀星「蜜のあわれ」、阿部知二「冬の宿」、梅崎春生「桜島」、伊藤整「氾濫」、高見順「いやな感じ」、三島由紀夫「橋づくし」、色川武大「百」、詩なら石原吉郎……と、なんでもいいが、こうした作品を知ること、知らないことでは人生がまるきりちがったものになる。

文学には人生を変える力があるというところに深く共感する。人生を変えるといっても「有用性がある本」に比べて目に見える効果は出ない。しかし、自分のことを振り返ったり、他人の気持ちに寄り添ってやる力が育まれるのではないか。

自分の話になって申し訳ないが、今、祖父の実家に住んでいる。祖父と祖母は仲が悪く、テレビのチャンネル権や過去の悪口を引きずって、数十年に渡って喧嘩状態にある。もし、二人に本を読む習慣があれば、今よりも良好な関係が築けているのでは?とおもったりする。相手に共感して、話を聞く余裕が生まれるかもしれないし、なによりお互いに本を読んでいれば互いに干渉しないので喧嘩しようがない。(まぁ、これは夫婦関係の問題だからそう理屈どおりにはいかないかもしれないが)

また、荒川が挙げている本のなかで石原吉郎は読んだことがあるのだが、彼のシベリア抑留での体験を綴ったエッセイは確かに死ぬ前に読めてよかったと思えるものだ。非人間的な扱いを受け続けると人間はなにを考えるか、どのように死ぬのかといったことは普通に生きていればまず知ることができない。そんなことを知る必要はないという方もいるかもしれないが、極限状態まで追い込まれた人間の心情を知っていれば、自分の嫌なことを「シベリア抑留より大したことない」と開き直ることができる。

と、ここまでもっともらしい理由をならべてみたが、自分にとって文学は現実逃避できる唯一の場所である。友達と喧嘩したときや裏切られたとき、自分の罪悪感みたいなものを解消するときに本を読んでいると少しつらいことを忘れられる。それが酒や煙草、買い物だったりしたこともあるが、それらはなんの感動ももたらしてはくれない。ストレスが溜まっているときは誰かと話していると、相手に迷惑をかけているようでだんだん申し訳なくなってくる。

そんなとき、本を読んだり物を書いたりする文学以外に感情を落ち着ける方法を知らない。自分にとって文学は無用の用なのだ。

テレワークで感じたこと①:見られない日々のありがたさ(執筆者:久納美輝)

自分のデスクまわり。散らかっていて仕事ができないのがバレてしまう。椅子はゲーミングチェアで会社の椅子より疲れない。キーボードは会社のマックがタイプCしか刺さらないので使えていない。アップルウォッチも最近はつけていない。

月曜日からテレワークを始めてはや一週間が過ぎようとしている。本来は不要不急の外出を避けてウイルス感染を防ぐのが目的なのだが、自分が会社に申請を出した理由はちょっと違った。しばらくの間、人と会わないと自分はどうなるのか試してみたかったのである。

自分は働くことは会社に行って定時まで過ごすこととおもっているフシがある。仕事がはかどってもはかどらなくても、定時までいれば給料はもらえるし、残業をしてその場にいれば「遅くまで頑張っているね」と声をかけられる。しかし、自宅にいればチャット以外の自分は他人に見えないのであり、努力や苦労は見てもらえない。成果だけで見られてしまうプレッシャーがあったが、残業グセが治るような気もしていた。

テレワークを始めてみて感じたのは、ストレスが減るということだ。朝が苦手なので、いつも8時半に飛び起きて、8時45分の電車に乗って、ギリギリ9時半の出社時間に間に合うように会社にすべり混んでいる。髭を剃ったり髪を整える時間はない。しかし、テレワークなら9時近くまで寝ることができ、朝食を食べる時間もある。寝すぎると罪悪感に襲われるがその分、体はラクだ。自分がおもっている以上に、朝の出勤はストレスになっているようだ。

それともう一つ。人に見られているというストレスが減るのがありがたい。髭を剃らなかったり、髪がボサボサのまま会社にいると、「この人、不潔だな」とおもわれているんじゃないかと気になる。それならば直せばいいのだが、なんかそれもめんどくさい。家にいるとそういうことをとがめられないのでラクだ。これでストレスの50%はなくなっているようにおもう。

実際、会社にいると始終「サイアク」という独り言を言っているのだが、一人で働いていると黙って仕事ができる。結局は誰かがいると、自分の抱えている不安を誰かに聞いてもらいたくなってしまうし、視線が気になり、集中力が削がれるのだ。

また、無意識のうちに独り言を言うことで他人の反応を求めているのだとおもう。テレワークだと相談できる人がまわりにいないので、自分でなにごともやらなければいけない。だが、人の目がないので「自分はこんなに頑張っているのに理解してくれない」という被害妄想が起因となっているストレスは生じない。結局、人の反応で一喜一憂してしまうので、人に囲まれていない方がラクだ。

残業グセが治るかどうかはまだなんともいえない。作業が完了するたびに会社に進捗のチャットを送らねばならないので、スピード感は意識しているが、一方で、出勤時間がゼロなので、ついつい遅くまで働いてもいいやという甘えも生まれる。他人が帰って行くのも見えないので人に合わせて帰るということもできない。テレワークを期にこの辺の自己コントロール能力も磨きたい。

話をまとめると、テレワークに限らず一定期間人と関わらないことはいいことだとおもい始めている。会社にいるときは、自分の仕事がうまく進むことよりも、人に批判されないことを意識して働いていなかったか。友人関係も自分が楽しく過ごすことよりも、相手に嫌われないようにすることに時間を使っていなかったか。とりあえず今は他人に合わせずに自分で自分をコントロールできるように意識しながら日々を過ごしている。

短歌同人誌「くわしんふう」を読む② 佐巻理奈子さん part2(執筆者:久納美輝)

part1を読んでない方はこちらから。

http://hyobunken.xyz/?p=2532

 カブトムシみたいなローファーそのどれもしっくりこなくて素直になれぬ

前回に引き続き佐巻さんの歌の鑑賞。この歌も学生時代の歌だろうか。僕が学生だったころ男子生徒の靴は自由だった。女子はローファーも制服の一部であった気がする。スニーカーを履いているのを見た記憶があまりない。

ローファーを履いたことはないが、成人式のときに初めて革靴を選んだときのことを思い出す。初めての革靴は踵がぴったりあっても、爪先がブカブカで歩くたびにかぱかぱしたり、靴擦れによって踵を擦りむいたりしてしまった記憶がある。どうも革のものは足に合わない。というか、合うまでに時間を必要とする。革靴に足が馴染むまでの時間が成熟までに必要な時間なのかもしれない。

ローファーをフォーマル(社会)の象徴として読むと、制服という用意された型に自分を入れ込まなければ社会に出ていけない、しかし、型にむりやり合わせようとしてもしっくりこない。といったところだろうか。しかも、選ばなければいけないローファーはどれもカブトムシみたいな落ち着いた色をしていて、派手さやカジュアルさなどを表現したスニーカーを履くことなど許されていない。

なにかに合わせなければ成熟できない息苦しさを素直に受け入れられないのではないだろうか。

僕は足がとても小さく、なかなか足にあった革靴がない。革靴が嫌いなせいか妙にこの歌に共感してしまった。

次はできたら佐巻さんのエッセイの話もしたいです。あくまでできたら、、、。