2021年 7月 の投稿一覧

#68 現代短歌9月号を読んで(執筆者:久納美輝)

 心待ちにしていた現代短歌9月号自宅に届いた。この本は1990年以降に生まれた歌人60人の自選10首と影響を受けた一首を集めたアンソロジーで、ツイッターで編集後記のことがかなり話題になっていたので楽しみにしていたのだった。Twitterで引用されていた箇所は以下のところ。

 このアンソロジーに自分がなぜ呼ばれなかったのか、不満顔の君のために理由を書こう。声をかけようとしたら、君の連絡先が分からない。TwitterのDMにも無反応だ。それ以前に、最近のきみは同人誌でも存在感が薄く、作歌を続けているのかどうかも怪しかったのだ。掘り出した石は君の宝物で、人に見せたいが、市に並べて値踏みをされるのは御免だという気持ちはわかる。だが、こうして市を開かれてみると、もっと見事な自分の石がそこにいないことに、きみは茫然とする。〈中略〉次の市は未定だけれど、そのときまでに、きみの磨いた石を見せてほしい。

 この箇所に多くの歌人がTwitterで反応していた。特に掲載された歌人を中心に。各々のTwitterは引用しないが主に、Twitterのアカウントを持っているかいないか、連絡先を公開しているかいないかなどを選考の基準にするのはおかしい。連絡先を公開することで、なにかしらの被害に遭うこと可能性もあって公開できない人もいる。上から目線が不快。九〇年代を子供あつかいしているなどの意見があった。

 確かにこれらの意見はただしく、編集者を信用して自分の作品を差し出したのに、自分の意志とは関係なく「選ばれた」もののように扱われ、「選ばれなかったもの」の矢面に立たされるのは不愉快だと感じるのは当たり前だ。自分はTwitterで上の文章を読んだときは、選ばれた歌人の意見に首肯した。

 一方で、実際本が届いて編集後記を読んでみると、それほど不愉快な感じはしなかった。ようするに、連絡先がわからないうんぬんなど遠回しの言い方が変な誤解をまねいただけで、「もっと自分をアピールしろ」という遠回しの激励に感じた。わたしも94年の生まれだが、このアンソロジーの存在がなかったら、おそらく「現代短歌」を買って読まなかっただろう。結社に所属はしているが、このラインアップと比べると、さしたる実績も残していないし、同人誌の制作に精も出していない。このようなハッパのかけられ方は嫌いではない。真摯に受け止めたい。

 と、納得しそうになったが、ぱっと思いついたのだが、武田穂佳など97年生まれで、活動もしているし、実績を残しているのに選ばれていない作者もいる。それも選ばれていないのか、本人の意志で断ったのかが判然としない。やはり、こんな書き方をせずに編集者が「この六〇人に向けてなぜ選んだのか」を語る内容の方がよかったのではないか。

橋本喜典の最晩年歌集『聖木立以降』を読む(執筆者:加藤孝男)

晩年ということと、老年ということは、少し意味が違う。なぜなら30歳で亡くなった人にも晩年があり、亡くなった年齢によって晩年は人それぞれ違うからである。

私はこの事に対して少し苦い経験がある。というのは、歌人の橋本喜典の短歌を批評したときに、晩年という言葉を使い、取りまきの人から少し失礼ではないかといわれたことがある。

まだ、その時、作者は80代で、病気と闘いながら短歌を詠んでいた。そんな作者に、私は不用意にも晩年という言葉を使ってしまったのである。橋本はすぐ、晩年という言葉を知らない人がいるなどという歌で、私のことを暗に批判された。

私は老いというものが、その頃は理解できず、自分がいつ老いの側にいくのであろうなどと考えていた。そんな自分を橋本氏はほくそ笑んでおられたのであろう。

ところが、ある日、ふいにそうした年齢に達してしまった。周囲を見渡すと、自分と同じ年齢の人たちがやけに老け込んでみえるのである。

だが、それはおそらく老いではない。私の母も、86歳になるまで元気でいたが、ふとしたことで腰を痛め、それからは、老人のような物言いになってしまった。

2019年にこの世を去った橋本の短歌についていえば、晩年になればなるほど輝きを増すように思う。橋本という人は、長らく「まひる野」という結社の重鎮であった。気むずかしく、あまりお近づきにもなりたくはなかったが、この人の『聖木立』という晩年の歌集を読んでいると、そこになにか清々しい境地のようなものを感じ、橋本の晩年の歌が私の目に新鮮に映った。

そんなこともあり、この歌人を偲ぶ会にも参列し、ようやくお近づきになれたという感じがした。昨年、2020年のことである。

それから三年が経過した。いま手元に『聖木立以降』という歌集が届き、なにげなく手にとると、最後まで読み終えていた。こうしたことも稀なことである。

私にとって、橋本喜典という人の晩年は多くのことを教えてくれた。こうしたことは人間にとって大変重要なことであるように思える。そして『聖木立』の「あとがき」に書かれた次の歌に興味を惹かれた。

  歌による表現者われ九十歳の胸にすこしく荒野(くわうや)を残す

おそらく『聖木立』の編集段階でふいに浮かんだものであろう。それが今回の歌集に正式に収録されたのである。九十歳になってもなお、表現し尽くすことのできない荒野を残しているなどということは、簡単に言えることではない。

人は、生涯の感情のすべてを表現し尽くすことはできない。当然のことだ。死後この歌集が出版されたことで、作者の荒野の部分が幾分明らかになった。

  いのちの齢かさねきたりてわれは知るよろこびにそつと悲哀の添ふを

橋本はおそらく教職にありながら、こうした感情をじっと押し殺してきたのであろう。そして教職を辞してより、この作者の自在な境地がはじまる。年を経るごとに喜びはあっても、それを純粋に喜べない感情は当然ある。そこにはなんらかの悲哀が付着しているのである。

  光も影もかげ(、、)といふなれ悲(ひ)と愛をかなし(、、、)といふは人智を越ゆる

人智を超えると言いながらも、作者はなぜそうなるのかを分かっているような気がする。光と影が同じく「かげ」といわれるのは、それが同じ現象の表裏であるからである。さらに「悲しい」と「愛しい」が「かなし」であるのは、それが同じ感情の根に由来するからである。愛しさの裏に悲しみが宿るということは、光の裏に影が宿るのと同じ原理なのである。

  なるべく長く頭を下げてゐればよい恥なるものを忘れた日本人(われら)は

こうした感情も戦中から戦後を経験した世代ならではのものと言えるのかもしれない。戦後日本人が失ったものの一つに恥の意識があることすら、いまはだれもが気づかなくなってしまった。

1972年、グアムから帰還した元日本兵横井正一は「恥ずかしながら生きながらえて帰って参りました」と報道されたが、恥を失った日本人の感情に奥行きなどあろうはずもなく、また、歴史意識も剥落し続けている。なにかここには、失った美徳の見える世代の歌がある。

  国のため死ねと言はれし世代いま長寿に対処せよと言はるる

戦中から戦後はもっともはげしく国の方針が変わり、そうしたことにも作者は苦笑している。長寿に対処せよとは、こうした短詩型でしか言えない表現であるし、作者にはそう聞こえたのかも知れない。国家という組織に明確な指針などあろうはずもなく、国民は何時もその大ざっぱな指針に翻弄され続けている。

  文語口語混じれる歌をゆるすわれ罪なすごとき思ひ消し得ず

この世代において、短歌に口語が混じるということは一種の罪の意識があるのだ。短歌というものは、新しい世界を表現しようとする以上、現代の言葉が入らざるを得ず、もっとも変化の激しい名詞などはその代表である。ストイックな作者の意識にも、口語短歌の気配が忍びよっていたということであろう。

  失明は正直言つて辛いけれど失望への距離の見えざるはよし

これは深刻なことを言っている。作者は失明した。それは正直言って辛い。むろんそれ以上のものであろう。しかし、目がみえない分、失望への距離も見えないと、晴れやかに言ったあたりは、もうあらゆることを受け入れられる境地に達している。

これまでの作者なら「正直言つて辛いけれど」などという口語的な文脈を短歌に織り交ぜることなどしなかったであろう。ここにあらゆるものを自然として受け入れる姿勢があるといえるのであろう。

  薪の束積み上げてある美しさ一生(ひとよ)の仕事と憧れて見し

という歌もある。薪の束が積み上げられている事、それを美しいと見る感性は、むしろ前近代のものである。しかし、そうした美意識がもはや失われようとしていることも事実である。

作者は、早稲田中学・高校の副校長として、教育の世界に心を砕いてきた人である。むしろ多くの生徒を育てることに心血を注ぎ、その傍らで歌人としての生涯を全うしている。このことは偲ぶ会などが、まひる野会と、早稲田中学高校の教え子たちが催した二つの会が行われたことによっても分かるのである。二つの会は別々に行われているが、おそらく二つは一つにして行なった方が、この作者の全体像がむしろつかみやすかったのかもしれない。しかし、この作者の晩年は、やはりこうした人間のしがらみを離れて、自在な境地に遊んでいたことが、最晩年の歌集からも分かるのである。

  われはまだかなりしんどい人生の晩年をなほ生きてゆくらし

この歌のなかには「晩年」ということばが使われている。また「かなりしんどい」などといった口語が使われている。こうした予測不能な晩年というものに作者は向き合いながら、静かな生活のなかで、歌という一本の手綱をにぎって、生をまっとうしようとしている。

こうした作者のしんどさのなかには、短歌への飽くなき思いというものがあったというべきである。この歌集には、最晩年の荒野に立った人間の、裸の姿がつづられているといえるのである。

西脇順三郎「古代文学序説 ー幻影の人」「幻術の世界」の読解(執筆者:加藤孝男)

今日は合気道の稽古が、休みであるため、何かしまりのない1日を過ごしてしまいそうである。数日前の集中豪雨のためからか、いつにない蒸し暑い一日である。

先日のネットニュースに、アフリカのサハラ砂漠の南部で雨雲が発達すると、日本が熱くなるという学説が紹介されていた。この不思議な因果関係は、日本の研究者たちが導き出したものらしい。日本という国が、アフリカ大陸と、DNAの上で、つながっているということと、まったく無関係ということもなかろう。

机の上には、西脇順三郎関係の書籍が山積みになっている。それはある編集者との約束であって、私は西脇についての本を今年度中に出版することになっている。そんなことから、これまでいいかげんにしか読んでこなかった西脇全集をこの際、徹底的に読破する必要に迫られている。

いま机上にあるのは、『定本西脇順三郎全集 Ⅷ』で、この巻には、西脇の博士論文「古代文学序説」(1948年)が収録されている。

博士論文と聞くだけで、寒気がするが、きょうの暑さのためか、先ほどから冷房がかかっている。以前これを斜め読みした形跡もあり、所々に付箋が挟まっている。

西脇順三郎という人の著作は、一般的には難解といわれているが、読み出してみると、じつに明晰で、どこを読んでも、それは西脇の世界という他はないのである。この「古代文学序説」は西脇順三郎の重要な概念といわれる「幻影の人」についても語っている。

私は何年か前に、西脇の故郷の新聞「新潟日報」に、太田昌孝氏と、西脇の生涯について連載したことがある。これをまとめたのが『詩人西脇順三郎 生涯と作品』(クロスカルチャー出版)である。

そんなわけで、かなりの西脇通であるはずだが、この「幻影の人」という概念は、私にとってもわかりにくい。西脇全集を精読するしかないであろう。

ところが読み出すとなかなか面白いのである。私は西脇順三郎のこのような考えが大好きなのだが、次のようなものがある。

「一つの存在は相反する二つの要素から成立してゐる。そしてこれ等二つの要素が共存してゐる状態は絶対の存在である。これは神である」などというもので、西脇をあまり読んだことのないひとに、ぴんと来ないかもしれないが、この詩人には、遠く離れた概念の連結という考え方があって、相矛盾する二つのイメージが融合されることで鮮やかなイメージを生み出すと考えている。これは彼がヨーロッパ思想から抽出してきたものの見方であって、複雑なヨーロッパから、こうした本質のみをつかみだしている。

「ものを常に相反する二つの要素にみる。生死とか善悪とか幸不幸といふ対立した形でものをみる。これはものを争闘の形態でみる前提となる論理である」という。

相矛盾する二つの要素が共存できるのは、絶対の存在である神のみであり、それに対して個々の人間というものは、その二つのうちの一つの要素しか持ち合わせていない未熟者というのだ。なかなか鋭い指摘といわねばならない。

「個々の存在は或る絶対的な存在に対して従属的な関係に於いて存在の理由があるのみである」と言う。

絶対的な存在というのは神なのであるが、古代の神というのは、アニミズムの神である。それはたいへん人間的であり、GODというキリスト教の神とも違う。西脇の意識の中には古代的な窓が穿たれていて、そこに幻影をみている。

「幻影をみるものは狂人に多いが、古い文学では特別の力を持つてゐる者と考えられていた」という。それは霊魂の存在を信じ、死後の霊魂の不滅を信じ、善悪の精霊の存在を信じ、より偉大な神々が宇宙にみなぎって、それを支配することを信じることが「アニミズム(精霊説)」の要点だという。

古代人への独特の考え方は、西脇の育った新潟県の小千谷市という風土も関係していよう。古代文化というものは、精神的な考え方をその根本にしていて、原始人というのは見えない力を信じて、外面的なもの(現代人のいう現実)を疑っているというのである。それゆえに原始人は皆、「形而上学者」であるというのだ。

ヨーロッパにおいて「昔は法律を司る人は神の祭司であり、法律は神の規定や禁令」であったと述べ、ゲルマン民族が南へ移動し、ローマやフランスに入ったというところから話を説き出しているのである。

「人間が神から離れ、家族から離れ、友としての集団から離れた時はその人は人間の存在の位置を失つた『放浪者』である」と書いている。

この放浪者に「 」ふってあるのは、西脇自身が、故郷を離れた放浪者であったからである。古代における放浪者というのは、集団を追放されたものと同義であるともいう。

そのことが西脇順三郎の「幻影の人」という言葉の意味を解き明かしてもくれる。幻影の人という言葉が西脇の詩集にあらわれるのは『旅人かへらず』(昭和22)においてある。その「はしがき」(「幻影の人と女」)において、西脇はみずからのなかに「原始人」と「近代人」がいるといい、この幻影の人は、原始人の自分のなかに瞬間にきて去って行くなにものかで、原始人以前の人間に奇蹟的に残っている追想であるなどと書いている。

「路ばたに結ぶ草の実に無限な思ひ出の如きものを感じさせるものは、自分の中にひそむこの幻影の人の仕業」だとも言っている。西脇はこれを、ニーチェの「超人」とは別の考え方だとも述べている。

その発想は男よりも女性に近いといい、種を育てる果実も女であるから、自然界では女が中心であるべきであり、男は単におしべであり、蜂であり、恋風に過ぎないと述べる。

これが書かれたのは昭和22年4月のことで、戦争が終わって間もない頃である。日本人は戦争に敗れたとはいえ、男の時代のただなかにあった。そんな時代に女性というものの価値をクローズアップしているのである。

「古代文学序説」の中で西脇は「哀愁は殆どものの存在の根源であり、知覚のねんごろなるものである。原始人は神秘を好む。ものの本当の存在は神秘的な存在である」と言うから、西脇順三郎の考え方は一貫しているのかもしれない。

というのは、超自然主義というものを西脇は詩のの原理の優位に考えているが、この考え方も、この古代的な考え方に近い。超自然主義は後に超現実主義、すなわちシュルレアリズムと同じことであるとわかるが、やはりそれは、ヨーロッパで隆盛を極めたシュルレアリスムとは少し違い、西脇独自な超自然主義なのである。それは自然を自然のまま見るのではなく、遠くにあるものを連結したり、近くにあるものを切り離したりして、自然にあるものに+α(超)をくわえることで、新たな風景を詩に描こうとしたのである。

西脇という人は そうしたヨーロッパ文学のエキスのようなものを一瞬にして自らの考え方にもってくるような鋭さがある。