1966年のノーベル文学賞、幻の同時受賞(執筆者:加藤孝男)

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 1968年のノーベルアカデミーの選考結果が公開され、今から50年前に行われたノーベル文学賞の選考に話題が集まっている。この68年は、川端康成が西洋の言語以外を操る作家として初めて受賞した。

 この68年の川端の受賞は様々に憶測がなされ、霧の中にあったのである。なぜならその前年の67年には、川端と三島由紀夫との両者が最有力候補に入り、どちらが受賞してもおかしくないと思われていたからである。無論68年には川端と三島の他に、西脇順三郎も候補に挙げられている。

 しかし川端と三島のノーベル賞を巡るかけひきにスポットが当てられてきたと言える。先日も NHK が、この二人のノーベル賞をめぐる関係を取材して、番組を放映していた。その中である女優が、三島の母親から聞いた話として紹介していたが、川端康成が三島由紀夫に、今回の賞は自分に譲ってほしいということを言ったというのである。自分に譲る譲らないなどという風な判断は当事者同士が果たしてできるものであったかどうかは分からないが、しかし、NHKは、今回の番組を制作するのに多角的に二人の関係にスポットをあて、さらに深く取材を重ねたことは分かる。今回の番組以前に、 NHK の河合哲郎という人が、68年前のノーベルアカデミーの公開した記録を丹念に調査して「 NHK NEWS WEB」(2018年10月10日)に、ある発見を記している。これは大変興味深いものであった。

 河合が言うには、1965年4月から9月まで、スウェーデンの王立図書館の司書であったヨーン・ローンストセームという人が、日本へ留学して、日本人の中で、誰が文学賞にふさわしいかということを調査したというのである。そのことが66年以降のノーベル賞の選考に大きく影響したという。

 そこで、ノーベルアカデミーは二人の作家に絞ってノーベル賞を検討し始めたという。二人の作家というのは谷崎潤一郎と川端康成である。この二人の同時受賞も視野に入れて考えていたことが、報告書から読み取れるというのである。

 しかし、この年の7月30日に、谷崎は79歳で亡くなってしまう。このことによって単独に川端康成が、最有力候補として残されたのである。もしこの68年に川端康成が受賞せず、三島由紀夫が受賞していたら、二人のその後の死はなかったであろうという憶測が囁かれているが、この流れで見る限り三島由紀夫の受賞はなかったのであろう。

 三島由紀夫はその2年後の1970年に自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決した。そして、その葬儀委員長を川端康成が務めた。しかし、その川端もその2年後の72年に、仕事場のマンションでガス自殺をしてしまう。

 川端は、ノーベル賞受賞によって身辺がざわつき、極度の睡眠不足に悩んでいたらしい。この睡眠不足を睡眠薬で改善しようとしたが、それも叶わず、もし眠れるのであれば永遠の眠りでもかまわない、という境地に次第に入っていったのであった。

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