大英博物館の春画展(執筆者:加藤孝男)

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今、大英博物館で、日本のマンガ展が開かれている。マンガは、ロンドンだけでなく世界中で人気があるが、これは日本と世界とを結びつける合言葉のようになっている。

大英博物館で思い出すのは、私がロンドンにいたとき、春画展が開かれたことである。これは世界でも最初の春画展といわれ、大きなインパクトを与えたようだ。当然、私も見に行った。

実を言うと私のいたロンドン大学のすぐ隣がこの博物館なのであった。私は思考が煮詰まると、いつも博物館のなかを散歩してまわっていた。

大英博物館は寄付こそ募ってはいるが、入館は無料で、館内は広い上に、貴重な展示物が所狭しと並べられている。まさに散歩には都合のいい場所である。世界中から観光客が集まってくる。

私のいた大学は、博物館の裏側にあるので、私はいつも裏口から館内に入っていた。そうすると、まず、中国の青磁器などを並べたコーナーに入って行く。人もあまりおらず、静謐な感じがしてこころが落ち着く。もちろん日本の展示物を展示した場所もあるが、日本人からみると、日本的な場所とはとうてい思えないのである。しかし、日本への郷愁がつのってくると、こうした場所も、ひとつの癒やしとなっていた。

博物館には、有料のスペースがあって、春画展もそのスペースで行われた。有料だと入場をためらってしまうが、この春画展は大盛況だった。このニュースは日本にも伝えられていたようだ。我々日本人でも見たこともない男女の絡みのシーンの描かれた絵がほとんどだったが、やはり装飾がきらびやかで、強調されたイチモツよりも、そうした絢爛さに眼を奪われてしまう。

ちょうどこの開催時期に日本から私を訪ねて、社会人講座の生徒さんたちが来られたので、展覧会に案内した。日本ではお蔵の中にしまわれ、ひそかに鑑賞していた絵画が、白日の下にさらされていて、「見ている人の方もおもしろいわ」といった具合である。むろん16歳以下は父兄同伴といった措置もとられていた。

面白いのは、春画というものを、芸術とみなす考えが、この時点までなかったのである。しかし、この展覧会以降、春画も、芸術としての市民権を得たといえる。こうしたお墨付きを得て、翌年、日本の永青文庫が春画展を開いた。そうした動きがもっと広がってもいいように思えたが、この一回限りであったように思える。

ロンドン大学の教員で、日本の絵画の研究者、タイモン・スクリーチ氏と親しかったので、この展覧会の裏話などをよく聞いた。この先生は春画の本も書いていて、そのタイトルが『片手で読む江戸の絵』(高山宏訳)である。片手で読むといったところが、意味深だが、スクリーチ氏は、この展覧会の仕掛け人の一人であった。いつもパワフルで、世界を飛び回った話ばかりしていて、羨ましい限りであった。

でも、私が「ロンドンの春画はどうですか」と尋ねると、口をつぐんでしまわれる。実はヨーロッパといえども、セクシャリティーについては、まったく考え方が違うのである。フランスに比べても、イギリス人の考え方はストイックで、決してオープンとはいえない。いかがわしい看板などは、表に出ていないのである。

それでも興味をそそられるのは、ロンドンという場所が、民族のるつぼになっているところである。そうであってみれば、いろんな文化がそこに集まる。いつのことであったか、私の目の前を、多くの全裸の男女が自転車に乗って通り過ぎて行ったことがあった。

それは白昼の稲妻のように衝撃だった。一緒にいたイギリス人の女性は目を被ってうつむいてしまった。でも、こうした重層性のなかにロンドンという街の魅力がある。

これも最近のニュースになったことだが、ロンドンで、古いパブがヌーディストパブとして開放されるというのである。おそらく日を決めて、裸になりたい人たちに店を開放するのであろう。日頃鬱屈して暮らしている人々だから、こうしたときにぱーっと裸をさらすのである。

かといって、ロンドン人たちが全て享楽的なわけではない。むしろ保守的であるといっていい。文化が入り組み、その意味でダイバーシティなのである。北海道とおなじくらいの緯度にあるから、南国のような街では決してないが、夏の陽が照ると、水着になって、熱心に甲羅干しをする人々の姿をよく見かけることがあった。それはやるときにはやるぞ、という気っ風のようなものであって、みていて気持ちがよかった。

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