中城ふみ子 短歌解説その60(執筆者:田村ふみ乃)

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美しく漂ひよりし蝶ひとつわれは視野の中に虐ぐ 

1951年7月「山脈(やまなみ)」 

風の流れに抗えず、美しく漂いながらだんだんと自分のほうへ寄ってくる蝶を、作者はいじわるな目でみているのだが、なぜなのか。

この歌は、初出では生きながらにして子と別れた悲しみの一連にある。夫の博と正式に離婚したのは1951年10月2日。別居後、離婚するまでに1年半近くを要した。ふたりがすぐに別れられなかった理由のひとつに、子供の問題があった。

中城家が子供をひとり渡すことを離婚の条件に出してきたのだが、ふみ子はなかなか受け入れられないでいた。これが博の意思だったのか、博の両親の望みだったのかは明らかではないが、最終的にはその条件をのむより方法がなく、4歳になろうとしていた末の子・潔を渋々手放す決心を彼女はする。そして札幌の中城家まで送り届けている。

この時小樽に住んでいたふみ子の妹・美智子が同行しており、自分は、あまりのつらさに泣いてしまったが、姉は耐えていた。潔を置いて小樽の家に一緒に帰ったその夜、姉は眠れぬまま、翌朝一番の汽車で帯広へ帰って行ったと、語り伝えている。

まだ幼かった長女の雪子にも鮮明に覚えているふみ子の姿があるという。それは「母が弟をおんぶして(略)毛布を弟にすっぽりかぶせて足早に歩いて行く暗い母の後姿」で、潔が中城家に連れて行かれた日だったと話す(小川太郎著『『聞かせてよ愛の言葉を』)。

中城家からの要求は、この条件だけをみると非常識なものではないが、ふみ子にとっては一番つらいことであり、中城家からむごい仕打ちを受けたとして、美しく漂うだけのか弱い蝶に、弱い立場の自分を重ねる。ただし、蝶と痛みを分かち合っているのではない。無力な自分を蝶にみるようで煩わしくてたまらないのだ。だから怒りと恨みのこもった視線を送りつけている。早く消え去れといわんばかりに。

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コメント

  1. クロ(もふもふ) より:

    いつも連載を楽しみにしています。
    続けることは大変なことなだけに、あらたな連載がアップされたら嬉しいです。これからも頑張って下さい。

  2. 表文研 より:

    あたたかいコメントをありがとうございます。
    中城ふみ子についてご存じない方にも、彼女の生き方を歌を通してお伝えできるようこれからも努力いたします。

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