中城ふみ子 短歌解説その68(執筆者:田村ふみ乃)

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剪毛(せんまう)されし羊らわれの淋しさの深みに一匹づつ降りてくる 

1951年7月「山脈(やまなみ)」

毛を刈り取られた羊らのうすいピンクの肌がみえてくるようだ。「剪毛されし羊ら」に、皮膚感覚における淋しさがある。

戦後から昭和30年代にかけて、衣料不足を補うために日本のめん羊産業は拡大してゆく。めん羊の飼育はすでに明治時代から始まっていたが、羊毛が衣類の主要な原料となると、急速に需要が高まり、北海道を中心にめん羊の飼育がさかんに行われるようになった。道内にはいくつも牧場がつくられ、数十万頭が飼育されていたという。

そんな時代背景を知って読むと、歌の味わいがまた違ってくる。作者には羊の毛刈りなど珍しい光景ではなかっただろう。この頃、何かが起こったのだ。「われの淋しさ」とは一体……。

初出では「うしなひしもの」と題された9首のなかにこの歌はみられる。何をうしなって淋しいというのか。一連には、生きながらにして我が子と別れたことを嘆く歌がある。離婚が決まり、三男の潔を夫の実家に渡したのだ。そのつらさや悲しさが他のいずれの歌にも通じて表れている。

掲出歌は子供と一緒にみた絵本のようにやさしいタッチで描かれているが、次々と降りてくるおびただしい数の羊が、作者の「淋しさ」として痛切に感じられる。

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