読書ノート1 『アーモンド』ソン・ウォンピョン 矢島暁子訳 令和元年7月20日 祥伝社(執筆者:久納美輝)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

かんじないということに憧れをもっている人はすくなくないだろう。怒りや恐怖がなくなれば、人の発言にきずつくことはないし、人にいわれたことを素直にきいて行動することができる。ちょっとしたきっかけですぐ激怒したり、ないたり、わらったりする、そんなセンシティブな人は一度は感情をすてさりたいとかんがえたことがあるはずだ。

しかし、かんじないということは、すなわち自分の意志を持たないということであり、世界に対して受動的にしか関わることができない。つまり自分の行動によって他人をあいしたり、大切にすることができないのである。

主人公は十六歳の高校生、ユンジェ。うまれつき感情をつかさどる扁桃体がちいさく、かんじることができない。そのため、目の前で人が死にそうになっていてもなにもかんじることができず、彼はまわりから〝怪物〟とよばれていた。そんな彼の一人称〝僕〟でかたられる物語は、まるで、自分が世界と隔離されていきているように淡々としている。

遠くの方でみんな立ちすくんでいるのが見えた。まるで、男と母さんとばあちゃんがひとつの劇でも演じているみたいに、誰一人動こうとせず、眺めているだけだった。全員が観客だった。僕も、その一人だった。

これは自分の母親と祖母が通り魔におそわれるシーンだ。彼の母親は彼にかんじさせる訓練を必死におこなっていたが、それは身をむすばず、親族をうしなうかもしれないという鬼気せまる場面でも感情はうごかない。

そんな彼は、もうひとりの怪物とであう。あらくれものの同級生、ゴニである。ゴニは暴力をふるっても顔色ひとつかえない彼のこころを必死にうごかそうとする。

「どうだ。今度はちょっとは気持ちが動いたか? やっぱり苦しがってるように見えるだけか。それが、おまえが感じるすべてなのかよ」

ゴニの声はかすれていた。

「今は、痛いだろうなと思うよ、すごく。でも、苦しがっているように見えるのは君の方だよ」

「ああ、俺はこういうの好きじゃないんだ。かっとなって殴ったり殺したりする方がはるかにましだよ。こんなふうにちょっとずつ、じりじりと拷問するみたいなのはすごく嫌なんだ」

これは蝶をころしてみせるシーン。やはり彼のこころはうごかない。そればかりか、ゴニは自分の感情を彼をとおしてしらされることになる。

感情がない彼と感情的なゴニは一見すると対局の存在にみえるが、社会から阻害されているという点では同じである。最終的に彼はゴニとの関わりによって感情を手にいれてゆくのだが、ふたりの友情がむすばれていく過程はとても不器用でみていてはがゆい。とおまわり、とおまわりしているようにみえる。

しかし、平和の名のもとに仲良くすることを義務づけられ、当たり障りないようにコミュニティをつくらなければならない社会ではぐくまれた友情とくらべれば、彼らの不器用な関わり方のほうが自然で人間らしいとおもう。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*