読書ぎらい その1(執筆者:久納美輝)

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短歌結社に入ってしまってから、どうしても周りの人に言えないことがある。それは僕は本を読まない人で、特に歌集は最初から最後まで読み通したものは人生で十冊ぐらいで、なにもものを知らないということである。

世間はコロナで自粛だというのに、僕は本を読まない。読めば学びになるのだし、少なくとも自分の感性が豊かになるのは間違いない(文学者は、「感性が豊かになる」ことを前提としていなければ立ちどころに存在意義を失ってしまう)。

思い返せば、昔からエッセイばかり読んでいた。僕が最も本を読んでいたのは高校生の頃だった。つまらない授業中は、中島らものエッセイなんかを読んで、暇を潰していた。決して秀才ではなかったけど、授業の内容は黒板さえ見ていればわかるし、なにかひとつのことに集中するのは昔から苦手だ。僕の読書体験は単なる「暇つぶし」や「人生からの逃げ」から始まり、今は「義務」になった。

僕は妄想のなかに生きてきたんだとおもう。自分は感受性が豊かで、人よりものを知っている。そうおもいたいがために、いまは本を読もうとしている。くだらない。僕は読書嫌いじゃない。ただ、今は本を読むのが嫌いだ。

会社で出世を目指すのと同じように、文学界で出世を目指す。そうあらねばならないと固く信じているところがある。誰に頼まれたわけでもないのに。本当は、もっと楽しみたいのだけれど、変なプライドがある。俺はかしこいんだぞ。というプライドが。それで、会う人会う人に、それとなく読書量を聞く。人よりかはいままでは読んできたんだなと、ふとおもい、自分の話をかぶせる。読まない本ばかりがアマゾンから届く。

なにかのために本を読んだり、ものを書いたり。もうそういうことはやめてみませんか。もっと素直に楽な方に。読んだり、読まなかったり。そんないい加減なものでいいとおもう。いまはなにも読みたくない。

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