『別冊 北山あさひ』を読む(執筆者:久納美輝)

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度肝を抜かれるのは気持ちがいい。

私もいつかひとの度肝を抜いてみたい。(「晴れの日はプカプカプー」)

北山あさひ『崖にて』を記念して出された『別冊 北山あさひ』。この本には、エッセイと歌人有志による『崖にて』の一首評が並んでいる。正直、歌集と一緒にこれを買わないと、大分ソン。エッセイを読むと、北山あさひがどんな生活をしてきたのかがわかるので、『崖にて』の家族詠とかの読み方が変わるんじゃなかろうか。例えば、

父は父だけの父性を生きており団地の跡のように寂しい(『崖にて』)

という歌があるけど、「父アキラ、死出の旅」というエッセイに、父が「北山家」を脱退(離婚)して、新北山家(父の戸籍から抜けて、新しく北山という戸籍ができた)が作られたと書いてある。「父は父だけの父性」というのが、父だけになった戸籍も指しているんじゃないかとか想像がふくらむ。

僕が一番好きなエッセイは「幽霊まん」。これは、二十代は自由に生きてきたが、三十代になっても結婚していない自分はだめなんじゃないか、命を誰かにあげたほうがマシなんじゃないかと悩んでいる筆者に、肉まんの煙から自縛霊が出てきて、「命がいらないならわたしがもらおう」と幽霊がでてくる話。

僕も、26になってアラサーに突入して、周りがパパになってくると、結婚していない自分、子供がいない自分、給料が上がらない不安、いまだ実家ぐらしなどに悩む。あんいに共感できるとは書いてはいけないとおもうのだが(女性の方がより切実な問題かもしれないから)、それでも同じような悩みが書かれていると、自分が理解されたようで少しホッとする。

また、霊と作者の対話が進んでいくのだが、普通に霊に死んだ理由を聞いたりして雑談を楽しんでおり、次第に話題の焦点がツイッターやスマホのこと(霊はスマホがない時代に死んだ設定)になっていくのが面白い。

最初が重たい悩みから始まって、雑談によって話がそれていくことで、いくぶんか自分の悩みが軽くなっていくようなカタルシスがある。こういうふうに話は重たいけれど、リズミカル(軽妙な、軽い?適切な表現を摸索中)な文体でその重さを希釈するという方法は北山あさひの歌にも見られ、いつかそれを言語化してまひる野に掲載したいと考えている。

天狗山に天狗のスキー滑る見ゆ愉快なことがいちばん強い(『崖にて』)

余談だが、「北大短歌 第三号」に掲載されている「天狗山と私」というエッセイも好きだ。著作権とかいろいろな問題があるのかもしれないけれど、『別冊 北山あさひ』にも入っててもよかったのかなとおもう。

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