#35 仕合わせの捉え方(執筆者:久納美輝)

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 捉え方でなんでもないことが幸せ(仕合わせ)になる。エッセイ集『文学は実学である』を読む。

 「仕合わせのタマゴ」は、著者が詩人になったきっかけがうかがい知れる。中学生のとき、散歩しながら詩を書くようになったそうだ。朝から晩まで散歩して30編ほど。普段、うんうんパソコンに貼り付いて一編の詩しか書けないこともよくあるので、足を動かして、外で言葉を拾い集めることを試してみようとおもった。

 また、母と祖母の仲が悪かったことも書かれている。母と祖母の顔色を伺わなければいけなかった子供時代。以下は本文の引用である。

今日は母に味方しよう、いや祖母かな。と、ぼくはその日その時の空気を察知する能力を身につけた。(中略)ぼくは、二人の女性のおかげで、詩人になった。詩人にさせられてしまったと言うのは正解だろう。

 過去の家族問題に対して、自分が詩人になることができたと感謝している。自分も父がおらず、感情的で喧嘩ばかりしている祖父母と、それに振り回されている母という少しやっかいな家で育った。「今日は母、今日は祖母」という感覚は肌感覚としてわかる。また、祖母は神経質な人で、帰宅するたび、施錠と手を洗ったかどうか確認。風呂の残り湯が少ないとちゃんと湯船に浸かったかどうか確かめてくるので、一緒に過ごしているとストレスが溜まる。

 そうした環境で育った自分をつい最近まで不幸だとおもっていた。しかし、そんなこと多かれすくなかれどの家庭にもあること。特に戦後まもなくはそんなこと当たり前だったのだろう。開き直るしかない。今までの人生、自分の神経質さに悩まされてきたが、これを自分が詩人になった「仕合わせ」と捉えて、前向きに生きていきたい。

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