私の武道論ー風と戯れる (執筆者:加藤孝男)

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毎週、日曜日に合気道をやっている。いまは緊急事態宣言のさなかなのであるが、体育館は、昼間営業をしている。午前10時からと、比較的ゆっくりしているが、それでも日曜の午前中は眠っていたいという人にとっては、なかなか厳しいことであろう。

それにこんな緊急事態宣言の只中であるので、人はステイホームにいそしんでいると思いきや、このところ新しい人たちが大勢稽古を見たいと言って訪れている。みんなステイホームに飽きてしまい、どこかで発散したいのである。

私たちのやっている東郷町総合体育館の武道場は、アリーナの2階に立派な武道場を持っている。隣が剣道場である。

環境は実に整っている。明るい日差しが窓から差し込んで、眠い1日の始まりをキリッと引き締めてくれる。私はこの武道場でかなり長い間合気道をやっている。

始めたのがいつのことやらもう記憶もおぼろになっている。最初はたまたま剣道の出稽古で赴いたこの体育館で合気道をやっているのを知り、入門させてもらった。

それは好奇心という以外のなにものでもない。私はその頃、剣道と並行して柳生新陰流という古武術も習っていた。私の専門はむろん体育ではないので、いくつかの武道を掛け持ちしてやるのは、どんなものかとその頃思っていたのである。

しかしどうしても好奇心には勝てなかった。私は病犬のようなところがあって、いったん自分の中に疑問がわき起こると、自分の目で確かめるまで、どこまでもそれを探求したくなる。悪い癖だと思いながら致し方ないのである。

武道というのは、素人目には、なんだかイカツイ、スポーツのようにも見えるが、人の好奇心をくすぐるものを多くもっている。

おそらく武道の段位が上がっていくことだけを考えている人には、私のような気持ちは分からないと思う。私の専門の短歌でもそうであるが、この小さな詩形にしがみついて、自分の地位が向上することを願っている人は多い。しかし、文学の醍醐味はそんなところにはない。繰り延べられた世界は尽きず、ありとあらゆることが好奇心をくすぐってくれる。

文学の世界がネガティブとすると、武道は、ポジティブな世界で一歩間違えれば、たいへん危険な目にも合う。そのへんのスリリングな感覚がいい。でも、K1に参戦して、相手を倒してみたいとか、そんな大それたことは考えたことがない。あくまでも、身体哲学の追究と考えている。

そうでないとたいへん危ない。プロの格闘家でも、ストリート・ファイティングのように何をしてもいいということになれば、命がいくつあってもたりない。むかし、あるヤクザが喧嘩の技でのし上がったという話を聞いたことがあるが、その技とは、目突きである。

もし、ルールのない喧嘩ということになれば、目を突く、金的を蹴る、みぞおちを打つなどという「当て身」をまず試みるであろう。なかでも、目を突くことに習熟すれば、簡単に相手を倒すことができる。しかし、そこまでして喧嘩に勝ちたいかということである。

武道というものが体系化されたのは、恐らく長篠の合戦以降であろう。なぜなら、戦は鉄砲が主流になり、もはや刀で戦うなどということは意味をなさなくなってしまったからである。むろん、戦場では槍というものは、有効な殺傷力をもっているが、殺傷能力を競うということがもはや、限界に達したとき、人は精神面を探求しはじめるのである。それが武道である。

だから、私はあらゆる体の動きに関心がある。それは身体哲学という他はなく、それは言葉によっても言い表すことのできない、なにものかである。

こうした武の世界は、私の専門の短歌の世界に似ている。なぜなら、短歌などの世界は、言葉は使うけれども、その省略された行間こそ大事だからである。そのため、武道の境地を詠んだ和歌が古来多いが、和歌という詩でしか表せない世界をもっているからである。

そんなわけで私は、武道の表層をなぞるようにして、自分の好奇心を満足させ、そこから新しい境地を得ている。それは、高校時代の柔道に始まり、大学では、なぜか極真空手を習った。

30になって剣道を始め、そこから制定居合を習い、本格的な古武術の世界へ入って行ったのは、40代頃であったろうか。

古武術のなかでも、歴史のある柳生新陰流の世界からは多くの宝をもらったと思っている。尾張藩に伝わるこの兵法は、抜刀術と袋竹刀の二つの稽古があるが、一時期は剣道と並行しながら稽古に出たのであった。そして、つまるところこの柳生新陰流の究極が無刀取りであるということを知り、それをやってみたくなったのである。

また、例の好奇心というやつであった。斬りかかってくる相手を、素手によっていかに捕縛するのかという警察の逮捕術のような技が、その頃の私にはもっとも知りたかった。

そして、行き着いたのが合気道であった。いくつかの町道場をみてまわり、最後に東郷町の体育館で神之田先生とお会いした。そこから、さらに私の好奇心はフル稼働した。神之田先生は他の先生と違い、かなり器が大きい。私たちが疑問に思ったところをぶつけると、どんな技も惜しみなく教えてくれるのである。

私が、無刀取りを教えて下さいといえば、教えてくれた。杖の使い方を教えて下さいとえば、教えてくれた。ふつうなら「いや、まだ君には早いよ」と、はぐらかされるのがオチであるが、神之田先生は違った。その頃の私は、それが普通のことだと思っていたし、いまでも、技を習いに来る人が秘伝を教えて欲しいといえば、神之田先生が教えてくれたように教えるであろう。

また、その頃私はキックボクシングなどもやりはじめ、もう自分が何がなんだかわからない状況であった。合気道の道場にはよく空手の先生がやってきて、合気道の技を習っていく。そうした人たちとミットをつけて打ち合ったりしているときには、わけのわからない荒塊がうごめくのである。

神之田先生が、「もうお前たち勝手にやれ」などと言って、道場に来なくなってしまうと、我々は短刀取りや、杖取りなどの技を深め、さらにYouTubeなどでみた荒技なども研究した。もう病犬である。

何か私の中にも次にどこに向かっていけばいいのかわからなくなりつつある。無論、武道の世界は、広大無辺でこの世の中には強さという面で行けば、巨大な山脈がたくさんそびれている。しかし、私は私なりに、好奇心の赴くままに武の世界で遊んでいる。

最近新しく入ってきた小学生と中学生女の子に合気道の基本を教えているが、そうしたこともまた私にとっては面白いことなのである。

そしていずれどこかに小さな道場でも建て、私塾でもひらきたいと考えている。この間、たまたまホームページを見ていたら、内田樹さんが自宅の道場公開してるのを見て、大変羨ましいと思った。

もっとも内田さんは道場兼自宅の建築によって一つの本を出したぐらいであるから、かなりの熱の入れようである。武道の好きな人というのはこんな風に風と戯れるようにして生きている。

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