ヴィーナスとルシファー  ー与謝野鉄幹という男 (執筆者:加藤孝男)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

 「明星」は、1900年に与謝野鉄幹によって創刊された明治最大級の詩歌雑誌である。この雑誌の影響は多方面に及ぶ。多くの作家や詩人たちがこの雑誌から誕生している。与謝野晶子、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、石川啄木らである。
 またそこに萩原朔太郎、佐藤春夫、堀口大学等をくわえていいかもしれない。「明星」が創刊されて、昨年で120年。
 私は二年半にわたり、「明星」創刊の経緯や晶子の『みだれ髪』の出版について「歌壇」に連載した。それをまとめたのが、2020年3月に刊行された『与謝野晶子をつくった男 ー明治和歌革新運動史』(本阿弥書店)である。
 単行本にするにあたり、写真や年譜をくわえたので、より見やすくなっていると思う。与謝野鉄幹という男がどのような半生を経て、「明星」を創刊し、晶子を世に出したかということを文献によって実証している。
 その大胆な表紙画からも知られるように「明星」の誌名は、美と愛の女神、ヴィーナスを意味する。それは金星の別名で、「宵の明星」と「明けの明星」とが対になっている。西洋文化の中で、この二つは別々のものとして考えられていたようで、宵の明星がヴィーナス(女神)であるのに対して、明けの明星はルシファー(堕天使)といわれる。
 明けの明星が太陽に挑んで負けたという神話にちなんでいるが、むろんこれは太陽の光によって星の光が消えていくことを意味する。「明星」を創刊した与謝野鉄幹という男は、小説などに頻繁に描かれるわりには正しく評価されていない。
 京都の岡崎というところにあった願成寺の四男として生まれて、父親は歌人の与謝野礼厳であった。檀家もほとんどなく口減らしのために、他家の養子に出された。浄土真宗の僧侶でもあった鉄幹は、次兄の経営する山口県周南市の女学校の教師にもなったが、定住の地とはならなかった。
 しかしながら、そこで関わった女性二人を後に妻として迎えている。二番目の妻が、林滝野で、「明星」創刊時の内縁の妻である。実家からの生活の援助を雑誌の経営にあてている。そうした貢献を讃えるため、彼女の実家の跡地には、文学碑が建てられている。
 晶子と結婚するまでの鉄幹は、挫折の連続であった。二十歳を目前 に東京へ出て、落合直文の門下生となったのが、唯一の僥倖ではなかったか。そこで知り合った直文の弟、鮎貝槐園によって、彼の運命は大きく変わっていく。
日清戦争終結直後の朝鮮へ、日本語教師として赴任し、そこで閔妃暗殺事件にまきこまれてしまう。鉄幹の詩歌集『東西南北』には次のような歌がある。
 ・韓山(からやま)に、秋かぜ立つ や、太刀なでて、/われ思ふこと、無きにしもあらず。
 鉄幹はこの事件に直接関与してはいないが、朝鮮王妃暗殺へと向かう不気味ともいえる雰囲気を描いている。鉄幹をふくめ、事件の周辺にいたものたちは、広島へ強制送還させられた。
 鉄幹は懲りず、ふたたび朝鮮の地へ赴き、政治工作などをしている。挙げ句の果ては、国家から要注意人物として、密偵まで付けられてしまった。国家のために働こうとして、裏切られた憤りは相当なもので、
 ・ひんがしに愚かなる国ひとつありいくさに勝ちて世に侮(あなど)らる
などという歌を書いて、鬱憤を晴らしている。日清戦争で勝利しながら、ロシア、フランス、ドイツから干渉を受け、割譲した土地を返したことを皮肉ったものだ。こうした国家批判は、日露戦争で出征し、弟をうたった晶子の「君死にたまふこと勿れ」などへとつながっていく。
 朝鮮から戻った鉄幹は、最初の子供を失うなどの悲劇があり、人生に対して懊悩している。そして、最後にたどり着いたのが「明星」の創刊であった。これは文学結社の旗揚げであり、出版社の創設でもあった。
 「明星」は軌道にのり、二号からは晶子が参加し、鉄幹はその才能に惹かれていく。順調にいくかにみえた「明星」の経営も、第八号に掲載した二葉の裸体画によって、発禁処分となり、鉄幹はまたしても国家権力に憤ることになる。
 さらに追い打ちをかけるように、「文壇照魔鏡」事件が起こる。秘密出版された「照魔鏡」には、鉄幹の誹謗中傷がまるごと書かれてあった。そこには、信じられないような目次が踊っている。
 鉄幹は妻を売った。処女を狂わせた。強姦を働いた。強盗放火の大罪を働いた。などというもので、捏造には違いないが、事実を巧みにすり替えて描写している。「明星」の詩人鉄幹を、ルシファー(堕天使)として描いていたのである。
 秘密出版の「照魔鏡」の著者については、現代では研究もすすみ、全貌が究明されつつある。拙著では、この部分に一章を費やし、「照魔鏡」裁判やその顛末も書いておいた。
 この事件は、後の鉄幹にとって逆風になったが、実家を捨て鉄幹のもとにやってきた晶子が、1901年に刊行した『みだれ髪』によって、再び「明星」は息を吹き返す。その『みだれ髪』の挿絵には、袴をつけた女学生が文学書を読んでいる姿が描かれ、耳元で悪魔が、なにかをささやいている。
 鉄幹にとっては、自虐ネタともいえる挿絵を藤島武二が描いたのである。『みだれ髪』は、鉄幹のプロデュースもあって、不朽の一冊となった。それはまさに世紀末的な香りをふくんでいた。
 冒頭で、私は明星には、明けの明星と宵の明星の二つがあると言ったが、じつは鉄幹の中では、西欧の影響と同時に、日本の仏教思想の影響がみてとれる。
 明星という星は釈迦が悟りを開いた時、輝いていた星であり、また修行中の空海の口のなかに飛び込んできたのも、明けの明星であった。鉄幹が仏教僧であったことを思えば、明星の意味するところは、むしろヨーロッパ的というよりも、日本的な新しい詩歌の覚醒を意味するものであったのであろう。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

広告

コメントを残す

*