#68 現代短歌9月号を読んで(執筆者:久納美輝)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

 心待ちにしていた現代短歌9月号自宅に届いた。この本は1990年以降に生まれた歌人60人の自選10首と影響を受けた一首を集めたアンソロジーで、ツイッターで編集後記のことがかなり話題になっていたので楽しみにしていたのだった。Twitterで引用されていた箇所は以下のところ。

 このアンソロジーに自分がなぜ呼ばれなかったのか、不満顔の君のために理由を書こう。声をかけようとしたら、君の連絡先が分からない。TwitterのDMにも無反応だ。それ以前に、最近のきみは同人誌でも存在感が薄く、作歌を続けているのかどうかも怪しかったのだ。掘り出した石は君の宝物で、人に見せたいが、市に並べて値踏みをされるのは御免だという気持ちはわかる。だが、こうして市を開かれてみると、もっと見事な自分の石がそこにいないことに、きみは茫然とする。〈中略〉次の市は未定だけれど、そのときまでに、きみの磨いた石を見せてほしい。

 この箇所に多くの歌人がTwitterで反応していた。特に掲載された歌人を中心に。各々のTwitterは引用しないが主に、Twitterのアカウントを持っているかいないか、連絡先を公開しているかいないかなどを選考の基準にするのはおかしい。連絡先を公開することで、なにかしらの被害に遭うこと可能性もあって公開できない人もいる。上から目線が不快。九〇年代を子供あつかいしているなどの意見があった。

 確かにこれらの意見はただしく、編集者を信用して自分の作品を差し出したのに、自分の意志とは関係なく「選ばれた」もののように扱われ、「選ばれなかったもの」の矢面に立たされるのは不愉快だと感じるのは当たり前だ。自分はTwitterで上の文章を読んだときは、選ばれた歌人の意見に首肯した。

 一方で、実際本が届いて編集後記を読んでみると、それほど不愉快な感じはしなかった。ようするに、連絡先がわからないうんぬんなど遠回しの言い方が変な誤解をまねいただけで、「もっと自分をアピールしろ」という遠回しの激励に感じた。わたしも94年の生まれだが、このアンソロジーの存在がなかったら、おそらく「現代短歌」を買って読まなかっただろう。結社に所属はしているが、このラインアップと比べると、さしたる実績も残していないし、同人誌の制作に精も出していない。このようなハッパのかけられ方は嫌いではない。真摯に受け止めたい。

 と、納得しそうになったが、ぱっと思いついたのだが、武田穂佳など97年生まれで、活動もしているし、実績を残しているのに選ばれていない作者もいる。それも選ばれていないのか、本人の意志で断ったのかが判然としない。やはり、こんな書き方をせずに編集者が「この六〇人に向けてなぜ選んだのか」を語る内容の方がよかったのではないか。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

広告

コメントを残す

*