追悼 立花隆『エーゲ 永遠回帰の海』(ちくま文庫)書評(執筆者:加藤孝男)

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2021年4月30日に亡くなられた立花隆さんについて書かなければならないと思いながら、今日まで過ごしている。

その死が発表されたのは、6月の下旬のことであったので、もう一と月以上が過ぎようとしている。

立花隆といえば、徹底的なリサーチによって、現代という時代の最先端をえぐり出した人である。もっとも有名になったのは、田中角栄を研究した一連の批評であった。しかし、その後も、宇宙飛行士や、臨死体験者、猿学の権威、ノーベル医学賞の学者など、インタビューによって、その実態をあぶり出していった。

しかし、それらは本当に立花が書きたかったものであろうか、と時に思うことがある。文藝春秋に就職して、編集者となったが、嫌いな野球の取材を命じられたことが原因で、会社を辞めて一本立ちしたという。

だが、なかなか食べることができず、新宿のゴールデン街でガルガンチュアという飲み屋を始めたというから、経営の才もあった人である。

社会人入学で東大の哲学科に入り直して勉強もしている。この辺りに立花の原点があるように思うのである。

そこで今回、これまで読んで来なかった立花の著作の中で、『エーゲ 永遠回帰の海』という著作を取り上げてみたい。この本ほど立花の知的好奇心の方向性がくっきりとあらわれた著作はないからである。

エーゲというのは、エーゲ海のことで、その海を取り巻くようにして存在する遺跡を、カメラマンの須田慎太郎と一緒に見て回った時の記録である。

立花が言うには、それは田中角栄の裁判が一息ついた時に、週刊プレイボーイから、好きなところに行って、好きなこと書いて欲しいと頼まれたという。そこで古代ギリシャの遺跡のある場所を、丹念にまわって、記事にすることにしたという。たいへん贅沢な連載である。

しかし、その本はすぐに単行本としてまとまらずに、立花にしてはめずらしく、長期間かけて熟成している。

エーゲ海という響きは、日本人にとっても美しい海を連想させる。我々世代には1977年に芥川賞を受賞した池田満寿夫の「エーゲ海に捧ぐ」などをも連想し、むろん辻邦生などの一連の作品を思わないでもない。

ギリシアはヨーロッパの文明の源であって立花隆とのつながりは一見ないようにも思えるが、よく読んでみると、立花の思索の原点となっていることが分かる。

私は西脇順三郎の研究をつづけているが、西脇の思考の原点にもギリシア、ローマがあり、西脇の好きな女神は、エーゲ海周辺地域に多くあらわれている。だが、困ったことにそうした神々の遺跡は、破壊され、持ち去られて今日に至っている。

この著作で立花はそうした廃墟へ自らの足を運んで、見て歩いている。

美しいものは常に略奪されたり、征服されたりしながら、自然のままの姿を今日にとどめるものであるが、このヨーロッパ文明の発祥の地であるエーゲ海周辺地域も、美しい場所であり、いくたびの侵略や滅亡という歴史をもっている。

立花は、この本のなかで、「知識としての歴史はフェイクである」と書く。

「最も正統的な歴史は、記録されざる歴史、語られざる歴史、後世の人が何も知らない歴史なのではあるまいか」と述べている。

立花は無数に残る廃墟に足を運びながらそのように実感したのである。この本の終章には立花が最も書きたかった、哲学の原点ということが書かれている。

立花は古代ギリシアの哲学者たちを、素朴な形で尊敬しているが、特にその中で取り上げているのは、タレスである。すでに立花は、80年代の旅をする以前、1972年に、地中海の周辺諸国を訪れている。

その旅の起点となったのが、ミレトスという場所である。このミレトスという場所はペルシャとの戦争によって滅ぼされたばかりか、近くを流れる河の氾濫によって、いまでは海岸線から離れてしまった。しかし、それまでのミレトスはアテネのつくった貿易港として繁栄した。

場所としては、エーゲ海の東に位置し、海を挟んでギリシアの反対側にあった。現在のトルコのアナトリア半島のエーゲ海側である。

紀元前6世紀のミレトスは、本格的な貨幣経済の中心地で、「最強の通称国家」と呼ばれていたという。そして、黒海の沿岸に植民市を100ぐらいつくっていたというのである。そのミレトスで活躍した哲学者がタレスであった。彼はそこでは天文学者として知られていて、太陽の地軸が傾いていて、1年経つと元に戻るということを発見し、一年を365日としたのも、タレスだというのだ。

また、日食を予言した。これらは当時としては驚異的な出来事である。立花はその他、タレスが述べたという箴言的な言葉を次のように記している。

「最も年(とし)古りたるものは神なり、神は生まれざりしものなるがゆえに」「最も美しきものは宇宙なり、神のつくりしものなるがゆえに」「最も大なるものは空間なり、あらゆるものを包含するがゆえに」「最も速きものは知性(心)なり、あらゆるものを貫き走るがゆえに」「最も強きものは必然なり、あらゆるものを支配するがゆえに」「最も賢きものは時なり、あらゆるものを明るみに出すがゆえに」(『ギリシア哲学者列伝』、加来彰俊訳)

このような文言をあげながら、タレスの偉業を讃えるが、この文言のなかに立花の思考回路とみごとに重なるものをみることができる。この時代の哲学者が追求した万物の根源ということでいえば、タレスは万物のもとは水であると述べた。アルケー(根源、原理)というものは、どのような対象においても、立花がもっとも探求したかったものではなかったか。

このことから、時間軸上のアルケーはビッグバンであるという。また物質においては、素粒子レベルまで探求がすすめられている。こうした素朴な自然哲学の方向が、現代科学においても、いまだ方向性を失ったわけではない。そしてタレスを語ることは、哲学というものの根源を語ることにつながる。

エーゲ海の東の半島に位置するミレトスという場所にあって、すでに海の交易で経済が成り立っていたが、神々はまだキリスト教のような一神教ではなかった。多くの神々がそこにいて、それが人々の崇拝を集めていたのである。

立花はこの本のなかで、ヘカタイオスの世界地図というもの掲げている。この地図が面白いのは、その中心がミレトスということは当然であるにしても、これを見ると不思議に当時の人の世界観が分かってしまう。

いまだ地球が丸いとは考えられていない時代の世界が、どのような地政学で考えられていたのかが分かる。この地図の東にはインド、そして西にはケルトが位置している。

しかし商業国家として栄えたミレトスはペルシアによって蹂躙されてしまう。この地図にはペルシャはインドの下、アジアに位置している。いまだ、この国の脅威が迫る以前にこの地図はできたことが分かる。

そしてミレトスの滅亡の時がやってきた。ペルシアは、エーゲ海にもその力を及ぼし、この国を攻めた。時のミレトスの指導者は、その場で胴体は磔刑(はりつけ)にされ、首は塩漬けにされてしまう。ミレトスの側に立ったイオニアも諸国も、徹底的な掃討作戦で男は殺され女は奴隷にされ、各都市は焼き払われた。

男の中で選び抜かれた美貌の少年は去勢され、器量の優れた娘たちと共にペルシアの宮廷に送られたと、戦に敗れた国の惨状を描く。そして、次のようにこの本をまとめている。

「要するに、私がミレトスで見た荒涼たる風景は、その時代の世界大戦に敗北して滅亡したかつての超大国が、敵国に蹂躙され、徹底した破壊を受けた後の荒廃の風景だったのである。いってみれば、1945年の日本全土に広がっていた焼け跡風景の古代版だったのである」というようなことをいう。まさに日本の敗戦の姿をそこに重ねながら、歴史は常に強いものが弱いものを蹂躙し、歴史を書き換えていくということを行っている。

それは冒頭で立花が語っていた歴史であって、上書きされることによってフェイクにもなってしまう歴史なのである。島国である日本はまだしも、こうした国境線を接し、美しい場所にある国々の歴史は、多民族との戦争などで栄枯盛衰が絶えなかった。

それによって、ギリシアの神々とペルシャの神々、更にイスラムの神がそこに侵入し、女神として存在した神々は廃虚の中に投げ出されたのである。

立花はこうした歴史というものをこの本の中で語ろうとしているが、それは彼の好奇心がとらえたものごとの本質のようなものであった。

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