20世紀の装飾(短歌編)(3)(執筆者:加藤孝男)

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おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く       

伊藤左千夫「ほろびの光」(一九一二年)

 伊藤左千夫は『野菊の墓』などの小説でも知られる歌人である。「ほろびの光」は、大正元年十一月号の「アララギ」に発表された。連作五首で、右の歌は巻頭の一首にあたる。以下、四首をあげておく。


  鶏頭のやや立乱れ今朝や露のつめたきまでに園さびにけり
  秋草のしどろが端にものものしく生きを栄ゆるつはぶきの花
  鶏頭の紅(べに)古りて来し秋の末や我れ四十九の年行かんとす
  今朝のあさの露ひやびやと秋草や総べて幽けき寂滅(ほろび)の光


 あえて全部を引用したのは、この五首が一つの作品だからである。こうした一連の作品に「連作」という言葉をあてたのは左千夫であった。
 短い短歌が、近代の詩や小説と並び鑑賞されるためには、こうした方法が有効であった。最後の「寂滅(ほろび)の光」を導き出すまでに、さまざまな情報を盛りこんでいる。
 朝、庭に降り立つところからはじまり、庭の情景を描写し、さらにみずからが四十九歳であると述べている。左千夫は五十歳で亡くなってしまうから、最晩年の作ということができる。
 左千夫のまわりには死の気配があった。明治四五年は大正と元号がかわった年であるが、一月に生まれた男の子が、あえなく夭折してしまう。七月には明治天皇が崩御し、九月には、乃木希典が殉死した。ここには一つの時代の終わりが意識されている。
 「アララギ」という雑誌が創刊されて、五年目のことである。左千夫は、斎藤茂吉、島木赤彦、古泉千樫、中村憲吉、土屋文明らを育てた。しかし、この時代には、こうした弟子たちとも意見が合わなかったといわれる。
 また、生業である牛乳搾取業の経営も、度重なる洪水によって、牛舎を移転せざるを得なかった。左千夫の牛舎として錦糸町の駅前にある牛舎の碑が有名であるが、この歌がつくられたのは、転居後の江東区大島町である。団地の一角にひっそりと碑がたたずんでいる。
 この一連はすべて、字余りがみられる。深い嘆きが、三十一音という規制をやぶっていくところに、この時期の左千夫の魂の危機をみることができるのである。
 一連を読んだ弟子たちは、左千夫の力量に舌を巻くが、一年後にはもうこの世の人ではなかった。

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