20世紀の装飾(短歌編)(4)(執筆者:加藤孝男)

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かの時に言ひそびれたる
大切の言葉は今も
胸にのこれど   

石川啄木『一握の砂』(一九一〇年)

 言いそびれた言葉はいつまでも、胸の奥にひびいている。岩手県出身の詩人、石川啄木の作品である。  
歌集では、この歌の前に女性の瞳を回想した歌があるため、あるいはこれは愛の告白だったのかも知れない。キリスト教が日本にもたらされたころ、宣教師たちは、アガペー(愛)を訳すとき「御大切」という言葉を用いて、デウスの愛を表現したという。
啄木の妹は敬虔なクリスチャンであったが、啄木自身は無神論者であった。二七年の短い生涯のうち、啄木の思考はめまぐるしく移り変わった。ついにキリスト教にはゆきつかず、社会主義に接近したのであった。
 「わが抱く思想はすべて/金なきに因するごとし/秋の風吹く」という歌がそうした経緯を説明している。啄木の社会主義は、生活上の困難から身に付いたものであった。この時代には、この思想がロシアからもたらされて、一つのブームとなっていた。
 そんな状況を政府は警戒して、ある事件をひきがねに、社会主義者の一掃を企てた。それはこの歌集の出版と同い年である明治四三年に起きた大逆事件である。幸徳秋水ら多くの社会主義者が捕らえられ、処刑された。
 啄木はこのとき、朝日新聞社に勤務し、たまたまこの事件を知った。その後、社会主義的な言論が自粛されていくなかで、啄木は、過激にこの思想にのめりこんでいく。だが、その二年後には、あえなく夭折してしまう。 結核は啄木ばかりではなく、啄木の母や妻の命をも蝕んだ。残された長女京子と次女房江は、祖父に引き取られて成人するが、二人とも二四歳と一九歳の若さで亡くなってしまう。
 啄木が悲劇の詩人といわれるゆえんである。
 啄木やその一家の貧困については、澤地久枝の名著『石川節子 愛の永遠を信じたく候』などにも克明に描かれている。この一家の窮状を、妻の側に多く加担して記し、明治人啄木の意固地が、一家を滅ぼしたとみている。
 現代の日本にあっても、七人に一人が貧困にあると言われているが、この時代の貧困とは比べものにならない。病院に行った帰りに、傘まで質に入れるような人はいないからだ。
 病や貧困がこの時代の詩人の命の燃焼を早めたにしろ、作品には鮮やかに明治が刻印され、その抒情は永遠のものとなっている。

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