将軍たちの位牌(執筆者:加藤孝男)

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大樹寺のパンフレット。200円。歴代将軍の位牌に関する情報が掲載されている。右が家康の木像、左はその位牌の写真である。

 2月12日に人を案内して、岡崎市にある大樹寺を訪れた。大樹寺といえば、徳川家の菩提寺である。私の地元のお寺で、名刹として知られている。それゆえか、小学校の遠足などでも、必ず訪れるのであるが、ふたたび訪れることは稀といっていい。

 寺の名前は、「だいじゅじ」とよまれることもあるが、地元の人は「だいじゅうじ」と発音している。大樹寺は土地の名前でもあって、私が高校に通学するのに乗っていたバスが、ここを通ると「次はだいじゅうじ」とアナウンスしたので、この名が脳裏に染みついている。

 私の通っていた高校は、当時、岡崎高校と合併し、学校群と言っていた。この学校群を受験すると、どちらかの学校に振り分けられるのであるが、二つの高校が均等な学力になるようになっていた。この場合、歴史もある岡崎高校に振り分けられた生徒はよかったが、岡崎北高校に振り分けられた生徒には甚だ理不尽であった。

 私の同級生にも、岡崎高校の近くに住みながら北高に振り分けられてしまった人たちがいたが、彼らの不満は相当なものであった。私は、北高の方が近かったにもかかわらず、不条理だと感じていたのである。このため、学校側は、ありがた迷惑なことに、大学受験に一層力を入れ、「打倒岡崎高校」をスローガンに、妙なライバル意識をむき出しにしていた。私はそんな学校が嫌いで、見事に落ちこぼれてしまった。

 高校時代の楽しかった思い出といえば、康生という街へでて、ラーメンを食べたり、本屋に立ち寄ったりしたことくらいであった。この康生という地名は、家康が生まれたことに由来するらしく、その近くに岡崎城がある。

 松平元康、後の徳川家康は、この城で生まれた。又の名を「龍城」ともいって、北高の応援歌にも「龍城(たつき)の城に雲よべば、一閃たちまちたつところ」と、その名が登場する。さらに三番には「菅生の流れ清きとこ、若鮎競うその早さ」と、岡崎城のすぐそばを流れる菅生川(すごうがわ)がでてくるのである。だが、高校時代の私はこの応援歌が大嫌いであった。作詞者には、たいへん申し訳ないが、作詩の内容に詩心というものが感じられず、応援団がこの歌を歌い出すと、独り興ざめしたものであった。

 ところが、なんということであろう。中年にさしかかり、日々の生活が苦の連続になると、自然とこの応援歌が脳裏をよぎり、私を励ますようになった。人生というものは、分からないものである。私はこの応援歌によって、救われることもしばしばあった。最後は「ゆけゆけ北高、ゆけゆけ北高、岡崎北高」で終わる、なんとも味気ない歌詞なのである。

 さて、私は大樹寺の門をくぐり、正面の阿弥陀仏と向き合った。それはまばゆいばかりの黄金で、この寺が徳川の偉光に輝いていた時代の名残であることはいうまでもない。何のゆかりか、私がいま奉職する大学も浄土宗知恩院派であって、かつての理事長が、この寺の住職を務めていたこともある。

 この寺の宝物殿には、歴代の徳川将軍の位牌が飾られている。それがちょっと変わっているのである。位牌というものは、仏壇におさまる大きさが一般的だが、この寺の位牌は等身大である。徳川15代将軍のうちの14代までの位牌が揃っている。位牌の高さを身長に合わせるというのは、初代家康にはじまる。これは、徳川家ならではのスケールの大きさを物語っている。

 徳川家の墓が東京、芝の増上寺にあったころ、東京タワーの建設のため、墓地が移転させられた。この時、掘り返したお骨の身長を測ったところ、位牌と1センチほどしか違っていなかったという。 

 家康の身長が159センチで、四代将軍家綱までが、家康と同じくらいの身長で、5代綱吉になると124センチと小柄になる。じつはこの位牌のなかでも身長が小さいのは、この綱吉と、7代家継の二人である。綱吉は、生類憐れみの令で有名である。64歳まで生きた綱吉に対して、家継は5歳で将軍職を継ぎ、8歳で亡くなってしまう。14代の将軍、家茂も13歳の少年将軍であったが、さらに若かった。

 大政奉還でおなじみの最後の将軍、慶喜の位牌がこの寺にはない。もう徳川の世ではなくなったこととも関係していようが、慶喜は、大正2年に77歳で亡くなっている。将軍在籍期間2年はあまりにも短かった。

 こうした位牌を見ていると、将軍その人と向き合っているかのような気分になる。家康の位牌には「前大相国一品徳蓮社崇譽道和大居士」と書かれており、生前の栄誉が感じられよう。位牌に書かれた戒名は、死後の名、すなわち極楽浄土で生きる時の名前である。人間は生きている間に自らの名前で生活をするが、死後も戒名によって生きることになる。考えてみれば、人間は生きている時間より、死んでからの時間の方がはるかに長いのである。そう考えると、この戒名こそがわれわれの本当の名前であるとも思われる。

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コメント

  1. 太田昌孝 より:

    将軍の位牌は東京芝の増上寺にも同じものがありますね。
    そう言えば静岡大学の大学院院生の頃、酒場で慶喜の曾孫と言う人に会いましたが、やはり小柄な老女でした。

    1. 田村ふみ乃 より:

      身長と位牌を同じ大きさにという家康の発想に驚きました。
      これはぜひ見に行かなくてはいけませんね。

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