西脇順三郎、ノーベル文学賞へのプレリュード(執筆者:加藤孝男)

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「Frontier」 別冊「西脇順三郎特集」1956年6月

研究者の間では、よく知られた雑誌ではあるが、「Frontier」の「西脇順三郎特集」を読む。その巻頭に西脇は、「プレリュード」という詩を掲載している。その一節を紹介しよう。

二三本の河を越えて

茶畑で幾度も小便をした。

耳が立っている野犬は雲に吠えていた。

それでもまだわからなかったのだ。

みのの山々が紺色にみえる大都会の

郊外の宿に着いたのが四時半頃であった。

時ならぬ水仙の香りがした。

存在自身の香りである。

この発見は人類に悲しみをますものだ。

こんな風なフレーズがその詩の中にはある。イメージは、静岡、名古屋、鈴鹿という風に展開していく。このなかにある水仙の香りを、存在の香りとするくだりが面白い。水仙には強烈な匂いがあるからだ。

さてこの「Frontier」には、西脇順三郎論が多くを占めている。大半は退屈であるが、その中に西脇の風貌を描いた記述が興味をひいた。

安藤一郎の「ヘクソカズラの寓話」という文章に、西脇順三郎の服装を諷刺した箇所があるので紹介したい。「西脇先生はいつもきちんと身なりを整えていて、もちろん英国紳士らしく見えるのだが」と安藤は語る。よく見ると大抵どこか一つ外してあるのだという。何が外してあるかといえば、ネクタイとか、チョッキとかが、それだけ非常に古かったり、またヨレヨレのレインコートを無造作にひっかけたりと書く。

むろん、この時点で西脇は、62歳。眼前にその人がいながら書いているのだ。服装のことを書きながら、安藤は、これが西脇の「スキマ美論」だという。この隙間美論というのが、面白い。

詩というものは、隙間の美学から成り立っていると私は日頃から思っている。表現が、ビリット破れたところから、真実を覗かせる。そんな隙間美論である。現実は退屈である。その退屈をイメージの世界で面白くするのが詩であると、西脇は、常々いっていた。

もう一つ、三浦孝之助の文章で、西脇の風貌にかかわる次のような記述が目を惹く。

渋谷の宇田川町時代に、西脇の奥さんから聴いた話として紹介している。それは近所の人たちが、お宅の旦那様は刑事でいらっしゃいますでしょうと、何年経っても言われるというのだ。まさに西脇順三郎の風貌を描いたエピソードである。

以上のような西脇の風貌を雑誌から拾いながら、この雑誌が刊行された1965年のことを思うのだ。むろん上記の写真には、安藤のいう隙間などみられない。あくまでもよそ行きの格好をしているのである。西脇はみずからの詩が他人の手によって、翻訳されることを極度に嫌っていた。できうるならば自らの手でそれを英語にしたいと思っていたようである。

翌年の1956年に刊行された「パウンド詩集」の訳者である岩崎良三が、本をパウンドに贈り、それに添えて、西脇の英詩「January in Kyoto」も一緒に贈ったところ、パウンドから、西脇の詩を評価する手紙が届いたという。たぐいまれな英文を操る西脇に、いたく感激したパウンドが、西脇をスウェーデン・アカデミーに推挙したらしい。

このパウンドの呼びかけによって、1957年に岩崎良三らが中心となり、西脇を、ノーベル文学賞候補に正式に推挙するという運びになったと、新倉俊一氏は『評伝 西脇順三郎』で述べている。

そして、58年には、西脇順三郎は、谷崎潤一郎や川端康成とともにノーベル文学賞の候補に名を連ねることになるのである。

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