近代短歌の起点(執筆者:加藤孝男)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

ネットサーフィンをしていたら佐佐木幸綱の「ほろ酔い日記」(2016年3月26日)にゆきあたった。この連載エッセイに、佐佐木は近代短歌の起点について記している。

佐佐木が言うには、1892年(明治25)年3月に、落合直文が「歌学」創刊号の巻頭に発表した「賛成のゆゑよしを述べて歌学発行の趣旨に代ふ」という評論を近代短歌の起点と捉えるという。

これは大変面白い考え方である。これまで近代短歌の起点を捉える考え方に、落合直文の主宰した浅香社の成立をその起点とするという考え方はあったが、落合の評論文を対象として考えるという説は斬新である。

佐佐木はその理由として、短歌が貴族や老人の専有物であった時代に、若手歌人の重要性を説き、短歌を構造改革したという。若手というのは、直文の弟子の与謝野鉄幹や尾上柴舟、金子薫園らをさしている。私はこの意見に半ば賛同しながら、実作で捉えることの重要性も感じている。

これは『近代短歌十五講』でも書いたことであるが、近代短歌のスターとして、誰もがみとめる与謝野鉄幹と正岡子規の両者に影響を与えた人物こそ、近代短歌の源流とするにふさわしい。それは橘曙覧だ。曙覧には有名な「独楽吟」50首がある。

 たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時

 たのしみは銭なくなりてわびをるに人の来りて銭くれし時

 こんな歌が50首も並んでいる。すべて、楽しみはではじまる。

ここで描かれた実感的生活詠が近代短歌の本質的にちかいため、この幕末の歌人をあえて、近代短歌のさきがけと考えるのである。「独楽吟」には生活詠ばかりではなく、尊皇攘夷などを詠んだ歌などもあり、まさに近代短歌の本質をついている。曙覧は、江戸が明治に変わる直前に亡くなってしまうが、その歌集である『志濃夫廼舎歌集』は、息子の手によって明治11年に刊行された。

この歌集を子規が論評したことは有名であるが、鉄幹も「明星」で曙覧を論じている。そのことはあまり知られていない。鉄幹の父、礼厳とも親しかったのである。

私はいま、「歌壇」に連載した「鉄幹晶子とその時代」という3年がかりの論考を一冊にまとめるべく鋭意編集中である。このなかには、落合直文の浅香社についても詳しく論じている。鉄幹・晶子といいながら、和歌から短歌へ移り変わる時代の短歌史を描いている。

 昨年は明治維新から150年という年であった。曙覧の歌集が出版されてから140年である。近代に短歌というジャンルが産声をあげて、100年以上が経過したということになる。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*