短歌

#75 家に歌集が届く(執筆者:久納美輝)

この頃の私はあまり詩や短歌の創作に熱を入れなくなってきた。自分は歌人の知り合いはあまりいないが、Twitterなどを見ていると、短歌に対する熱気が強く、作歌については彼らにまかせておけばいいのではないかと思い始めている。

嫉妬心や劣等感が掻き立てられるからだろうか。否。彼らと自分が比べられるのは一向にかまわないのだが、自分の歌を詠みたいという気持ちはどこから来るのか。その源泉をたどりたいと考えているからである。今、書いている小説が終わったらなにかの研究をしようと思う。前衛短歌か、モダニズムあたりに興味があるので、まずは黒衣の短果史でも読もうかと思う。

今日は吉田敦美『CLOUD』が家に謹呈された。ざっと通しで読んでみたが、とても装丁がスタイリッシュでかっこよく、その作風もシンプルな言葉で世相を詠む、装丁と同じくスタイリシュな作風に思えた。印象に残った歌を何首か引いておく。

 何でもない石ころ拾ってくれる幼 あげることだけがただうれしくて

 歌はみんな似たようなもの評論をお書きなさいと小高賢言いき

歌には死んだ人を詠んだ別れの歌がいくつかあった。故人を詠むことで悲しい情念と決別しているのだろう。全体的に乾いていて執着しない感じがよかった。好みの歌集である。

20世紀の装飾(短歌編)(4)(執筆者:加藤孝男)

かの時に言ひそびれたる
大切の言葉は今も
胸にのこれど   

石川啄木『一握の砂』(一九一〇年)

 言いそびれた言葉はいつまでも、胸の奥にひびいている。岩手県出身の詩人、石川啄木の作品である。  
歌集では、この歌の前に女性の瞳を回想した歌があるため、あるいはこれは愛の告白だったのかも知れない。キリスト教が日本にもたらされたころ、宣教師たちは、アガペー(愛)を訳すとき「御大切」という言葉を用いて、デウスの愛を表現したという。
啄木の妹は敬虔なクリスチャンであったが、啄木自身は無神論者であった。二七年の短い生涯のうち、啄木の思考はめまぐるしく移り変わった。ついにキリスト教にはゆきつかず、社会主義に接近したのであった。
 「わが抱く思想はすべて/金なきに因するごとし/秋の風吹く」という歌がそうした経緯を説明している。啄木の社会主義は、生活上の困難から身に付いたものであった。この時代には、この思想がロシアからもたらされて、一つのブームとなっていた。
 そんな状況を政府は警戒して、ある事件をひきがねに、社会主義者の一掃を企てた。それはこの歌集の出版と同い年である明治四三年に起きた大逆事件である。幸徳秋水ら多くの社会主義者が捕らえられ、処刑された。
 啄木はこのとき、朝日新聞社に勤務し、たまたまこの事件を知った。その後、社会主義的な言論が自粛されていくなかで、啄木は、過激にこの思想にのめりこんでいく。だが、その二年後には、あえなく夭折してしまう。 結核は啄木ばかりではなく、啄木の母や妻の命をも蝕んだ。残された長女京子と次女房江は、祖父に引き取られて成人するが、二人とも二四歳と一九歳の若さで亡くなってしまう。
 啄木が悲劇の詩人といわれるゆえんである。
 啄木やその一家の貧困については、澤地久枝の名著『石川節子 愛の永遠を信じたく候』などにも克明に描かれている。この一家の窮状を、妻の側に多く加担して記し、明治人啄木の意固地が、一家を滅ぼしたとみている。
 現代の日本にあっても、七人に一人が貧困にあると言われているが、この時代の貧困とは比べものにならない。病院に行った帰りに、傘まで質に入れるような人はいないからだ。
 病や貧困がこの時代の詩人の命の燃焼を早めたにしろ、作品には鮮やかに明治が刻印され、その抒情は永遠のものとなっている。

20世紀の装飾(短歌編)(3)(執筆者:加藤孝男)

おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く       

伊藤左千夫「ほろびの光」(一九一二年)

 伊藤左千夫は『野菊の墓』などの小説でも知られる歌人である。「ほろびの光」は、大正元年十一月号の「アララギ」に発表された。連作五首で、右の歌は巻頭の一首にあたる。以下、四首をあげておく。


  鶏頭のやや立乱れ今朝や露のつめたきまでに園さびにけり
  秋草のしどろが端にものものしく生きを栄ゆるつはぶきの花
  鶏頭の紅(べに)古りて来し秋の末や我れ四十九の年行かんとす
  今朝のあさの露ひやびやと秋草や総べて幽けき寂滅(ほろび)の光


 あえて全部を引用したのは、この五首が一つの作品だからである。こうした一連の作品に「連作」という言葉をあてたのは左千夫であった。
 短い短歌が、近代の詩や小説と並び鑑賞されるためには、こうした方法が有効であった。最後の「寂滅(ほろび)の光」を導き出すまでに、さまざまな情報を盛りこんでいる。
 朝、庭に降り立つところからはじまり、庭の情景を描写し、さらにみずからが四十九歳であると述べている。左千夫は五十歳で亡くなってしまうから、最晩年の作ということができる。
 左千夫のまわりには死の気配があった。明治四五年は大正と元号がかわった年であるが、一月に生まれた男の子が、あえなく夭折してしまう。七月には明治天皇が崩御し、九月には、乃木希典が殉死した。ここには一つの時代の終わりが意識されている。
 「アララギ」という雑誌が創刊されて、五年目のことである。左千夫は、斎藤茂吉、島木赤彦、古泉千樫、中村憲吉、土屋文明らを育てた。しかし、この時代には、こうした弟子たちとも意見が合わなかったといわれる。
 また、生業である牛乳搾取業の経営も、度重なる洪水によって、牛舎を移転せざるを得なかった。左千夫の牛舎として錦糸町の駅前にある牛舎の碑が有名であるが、この歌がつくられたのは、転居後の江東区大島町である。団地の一角にひっそりと碑がたたずんでいる。
 この一連はすべて、字余りがみられる。深い嘆きが、三十一音という規制をやぶっていくところに、この時期の左千夫の魂の危機をみることができるのである。
 一連を読んだ弟子たちは、左千夫の力量に舌を巻くが、一年後にはもうこの世の人ではなかった。

20世紀の装飾〈短歌編〉(2)(執筆者:加藤孝男)

このくにの空を飛ぶとき悲しめよ南へむかふ雨夜(あまよ)かりがね          

斎藤茂吉『小園』(一九四九年)

 雁が渡る光景にはなつかしいものがある。古きよき時代の日本の風景であった。この歌の場合には、雨夜の雁である。めったにみることができない。それは作者の心象風景なのかもしれない。
 この歌の背景には、日本の敗戦がある。このとき茂吉は、六四歳。生まれ故郷の村で敗戦を迎えている。
 茂吉が山形県の金瓶村で生まれたのは、明治一五年のことである。あの名作「死にたまふ母」の一連が、この村で生まれたことは、ひろく知られている。


  のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり


 茂吉は医師として、息子として、母を看取り、歌人として母の死をうたったのである。
 その茂吉が、昭和二十年四月に、この村に疎開した。妹の嫁いだ斎藤十右衛門の土蔵に間借りしたのである。そこで敗戦を知った。
 昭和二十年八月十五日の茂吉の日記は次のようである。〈正午、天皇陛下ノ聖勅御放送、ハジメニ一億玉砕ノ決心ヲ心ニスヱ、羽織ヲ著テ拝聴シ奉リタルニ、大東亜戦争終結ノ御聖勅デアツタ。噫、シカレドモ吾等臣民ハ七生奉公トシテコノ怨ミ、コノ恥シメヲ挽回セムコトヲ誓ヒタテマツツタノデアツタ〉と記した。
 羽織をつけて玉音放送を聞きながら、悔しがっている茂吉の姿が映されている。
 戦時中、茂吉は多くの翼賛歌をつくった。日本の勝利を信じ、戦争の一端を担っているのだという自負があったのかもしれない。万葉集の歌人、とりわけ柿本人麻呂がそうであったように、この未曾有の戦によって、不朽の作品を残そうと考えたのかもしれない。
 しかし、日本は敗れた。この歌がつくられたのは、手帳などから、十月六日とわかる。そこにはマッカーサーによって、〈天皇陛下、皇室への討議も自由〉などというお触れなどが出され、天皇を中心とする日本の国家の行く末がGHQに握られてしまったことへの悲嘆ともとれる。それは敗戦のかなしみと通底するのである。
 「国破れて山河あり」と詠ったのは、唐代の詩人杜甫であったが、杜甫のかなしみは、茂吉のかなしみであり、すべての日本人のかなしみであった。
 以降、豊かな東北の自然のなかで、茂吉の心は次第に癒えていく。日中戦争を戦った敵国の詩人の詩句が、日本人のこころのなかに響きわたったのである。

20世紀の装飾〈短歌編〉(1)(執筆者:加藤孝男)

吾木香(われもかう)すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ          

若山牧水『別離』(一九一〇年)

 牧水の代表歌の一つである。
 吾木香は、「吾亦紅」とも書く。その名の通り深い紅の花を咲かせる。すすきは、秋の代表的な草花として知られている。かるかやは、刈萱と書き、刈って屋根などを葺くのにも用いた。
 こうしたひょろ長い、さびしさの極みのような秋の草花を君に送ろうというのだ。
 短歌は調べの文芸である。この歌も、カ行音がみごとに配されている。なかでも、「すすき」、「秋くさ」、「さびしき」、「きはみ」、「君」という言葉のなかにある「キ」の音は、効果的に配合され、K音の美学とでもいうべきで、リズミカルである。
 この歌が収められた『別離』は、明治四三(一九一〇)年四月に刊行された。牧水にはすでに『海の声』、『独り歌へる』の二歌集があったが、この二歌集をあわせ、新たに新作をくわえたのがこの『別離』である。この歌集で、牧水の名は文学史に残ることになる。
その自序には、昨年に二五歳となり、人生の中仕切りの意味で、これを出版したとある。この時点ではみずからの寿命が四四歳であるとは思いもよらなかったろう。
 同じく自序に「左様なら、過ぎ行くものよ。これを期として我等はもう永久に逢ふまい」と記されている。それは青春との別離であり、恋人と別れをも意味していた。
 大悟法利雄らの研究によれば、牧水のこの時期の恋人は、園田小枝子という女性であった。
 牧水が小枝子を知ったのは、早稲田大学の学生の頃である。この恋愛が危うかったのは、小枝子が人妻で、二児の母であったことだろう。彼女はそのことを牧水に隠していたという。


  ああ接吻(くちづけ)海そのままに日は行かず鳥翔(ま)ひながら死(う)せ果てよいま


などの名歌も残る。ふたりの間には、子供までできたが、姦通罪を怖れて、里子に出し、やがて亡くなったという。
 この「吾木香」の歌が詠まれた頃は、その恋愛の絶頂期でもあったが、秋の草花を送るという行為のなかには、やがて来る冬枯れへの予感が秘められていた。
 牧水は、旅を愛し、執筆を生業として、四四年の短い生涯を生きた。その晩年は、静岡県の沼津に定住することになるが、そのころには、喜志子という伴侶がいた。 牧水の酒好きは有名で、その死亡診断書には、「急性腸胃炎兼肝臓硬変症(肥大性肝硬変)」の文字が見られる

#68 現代短歌9月号を読んで(執筆者:久納美輝)

 心待ちにしていた現代短歌9月号自宅に届いた。この本は1990年以降に生まれた歌人60人の自選10首と影響を受けた一首を集めたアンソロジーで、ツイッターで編集後記のことがかなり話題になっていたので楽しみにしていたのだった。Twitterで引用されていた箇所は以下のところ。

 このアンソロジーに自分がなぜ呼ばれなかったのか、不満顔の君のために理由を書こう。声をかけようとしたら、君の連絡先が分からない。TwitterのDMにも無反応だ。それ以前に、最近のきみは同人誌でも存在感が薄く、作歌を続けているのかどうかも怪しかったのだ。掘り出した石は君の宝物で、人に見せたいが、市に並べて値踏みをされるのは御免だという気持ちはわかる。だが、こうして市を開かれてみると、もっと見事な自分の石がそこにいないことに、きみは茫然とする。〈中略〉次の市は未定だけれど、そのときまでに、きみの磨いた石を見せてほしい。

 この箇所に多くの歌人がTwitterで反応していた。特に掲載された歌人を中心に。各々のTwitterは引用しないが主に、Twitterのアカウントを持っているかいないか、連絡先を公開しているかいないかなどを選考の基準にするのはおかしい。連絡先を公開することで、なにかしらの被害に遭うこと可能性もあって公開できない人もいる。上から目線が不快。九〇年代を子供あつかいしているなどの意見があった。

 確かにこれらの意見はただしく、編集者を信用して自分の作品を差し出したのに、自分の意志とは関係なく「選ばれた」もののように扱われ、「選ばれなかったもの」の矢面に立たされるのは不愉快だと感じるのは当たり前だ。自分はTwitterで上の文章を読んだときは、選ばれた歌人の意見に首肯した。

 一方で、実際本が届いて編集後記を読んでみると、それほど不愉快な感じはしなかった。ようするに、連絡先がわからないうんぬんなど遠回しの言い方が変な誤解をまねいただけで、「もっと自分をアピールしろ」という遠回しの激励に感じた。わたしも94年の生まれだが、このアンソロジーの存在がなかったら、おそらく「現代短歌」を買って読まなかっただろう。結社に所属はしているが、このラインアップと比べると、さしたる実績も残していないし、同人誌の制作に精も出していない。このようなハッパのかけられ方は嫌いではない。真摯に受け止めたい。

 と、納得しそうになったが、ぱっと思いついたのだが、武田穂佳など97年生まれで、活動もしているし、実績を残しているのに選ばれていない作者もいる。それも選ばれていないのか、本人の意志で断ったのかが判然としない。やはり、こんな書き方をせずに編集者が「この六〇人に向けてなぜ選んだのか」を語る内容の方がよかったのではないか。

短歌10首 たましひを焚く(執筆者:久納美輝)

植ゑ込みに暇人四人(よたり)が凭れるをカフェゆ眺めて指先に撃つ

青々とまつすぐ立てりひと日ごとにたましひを焚く蝉の鳴く木は

五月雨の夜に大きく手を広げ「もう死ぬわ」つて蛙が死せり

コロナ禍に大雨も降り短冊の重みに笹はしなつてしなつて

急行を俺が俺がと急ぎ合ふ誰も俺らのゆくへ知らずも

君の手を握らば糸を引きさうな両手をズボンにしまつて歩く

窓を打つ雨音聴きてさらさらと砂糖をそそぐ感じに眠らむ

バニラの香漂ふ古書を夜ひらくこそばゆき鼻の頭を掻きつつ

長雨の紫陽花の花序のきみどりを広野とおもふ蟻の駆ければ

うつしみの柔きわが身を湖に写さば腐(くた)してゆくゆふまぐれ

モーターガレージ(執筆者:久納美輝)

駐車場を一面パンダの埋め尽くす社用車としてあるプロボックス

Suchmos(サチモス)をBGMにひた走るヴェゼルは霧の首都高速を

ウユニ湖の水面と水面の虚の空の境を走るランクル70

ガムテームだらけでほのかに汗臭きビニールシートの祖父のヴィヴィオは

ハスラーとランクル掛けしごと派手なカラーでゴツいFJクルーザー

社用車を他社と比ぶ御社はアルト弊社はアクアやや嫉妬せり

パジェロとう無骨な名とは裏腹にクラシカルなるフライングパグ

排気量0.66悪路ゆく軽だが岩場を登れるジムニー

軽なのにスポーツカーのS660(エスロク)は軽なのに価格200万超ゆ

オフィスにて(執筆者:久納美輝)

オフィス

机(き)の上に小型の醤油ボトル置く 退職代わりに自決せむため

左手でちぎりて落つる髪の毛を床に払いて仕事を始む

同僚のミスを見つけて報告す上司の見らるる全体チャットに

隙あらばマウントを取る癖隠し後輩指導すチャットは難し

洗濯をせぬ服を来てスメハラの議題のあがる会議に参加す

アイコンを自画像に変え反応のなければハンコの画像に変える

菓子ばかり食う社員とぞ後ろ指刺されつつ柿ピー5袋目開く

隣席の人がティッシュに菓子を出し吾は手を伸ばし吾のものとせむ

昼休みのココイチ5辛の肛門のいぼ痔に障り午後半休す

二缶目のコーラ飲むとき隣人に名を呼ばれればゲップで答う

機械仕掛けのたばこ人形(執筆者:久納美輝)

一時間経つと葉巻に火を付けてぷかぷかと吸うたばこ人形

表情はきれいきたないかわいいの3Kを混ぜたグレーの夜人形は

ぷすぷすと焔が消えて床板の跳ね上がり出る煙りたがりさん

十字架に架けられてなお大麻吸う人形の目にある五寸釘

首を断つペーパーナイフが水平に動きて馬から落ちる騎士(ナイト)は

隙間からぶどう酒もれて白ひげのひげを濡らして赤く染めゆく

銀の皿からあふれゆく血をうけてカップの白湯は赤く染まりき

「さんざしは笑っていない」腐葉土にアイスの木挿しラットの墓標

二週間洗っていない洗い場をうねうねと這うハエの子供は

ハエの舞う部屋に積まれし人形の丘に日々寝るハエの王様