中城ふみ子 短歌解説その72(執筆者:田村ふみ乃)

鷹の鋭(と)き爪感じつつ立ちをれば一つかみなるわが肩は冷ゆ 

1954年10月「新墾(にいはり)」

鷹(たか)の鋭い爪が、身に食い込む。「一つかみなる」の的確な把握で、自身の弱々しいさまを描きとり、今、まさに恐ろしいものに捕らわれている状態を「冷ゆ」と、五感で語る。

ふみ子が「新墾」に出したこの歌が掲載されるのは、彼女が亡くなったあとだった。極限状態にありながら、ベッドの上で鷹に襲われている自分の姿を俯瞰(ふかん)するような冷静な視点の構図に、作者の強靭な精神が表れており、読み手に悲痛な印象を与えない。

入院中の消灯後の静かな闇に、毎夜、繰り返される悪夢。それはいつか覚める夢などではなく、これこそが死へ向かっているものの現実の世界なのだ。

闇の沈黙にひろがる無限な空間で研ぎ澄まされてゆく感覚。それが「鷹の鋭き爪」という猛々しい比喩や、冷酷な死を思わせる「冷ゆ」という言葉を作者につかませた。

ふみ子が亡くなったのは1954年8月3日だが、6月下旬には、一時、危篤にまで陥っている。その時は何とか持ちなおし、死の直前まで歌を作ることをやめなかった。

いくつもの結社誌に関わり、その名を知らしめたふみ子が、初めて結社に入ったのは24歳の時、この「新墾」だった。掲出歌は「夜の掌」と題された7首の最後におかれ、「新墾」における遺稿の、その最後を飾る歌となった。

中城ふみ子 短歌解説その19(執筆者:田村ふみ乃)

死後のわれは身かろくどこへも現れむたとへばきみの肩にも乗りて

                    初出1954年9月「鴉族(あぞく)」

わたしの体は死後軽やかに、どこへでも行けるようになるだろう。たとえばきみの肩にも乗れると、無尽蔵の自由にあそぶ。

ふみ子はいったい誰の「肩」に乗ろうというのか。時事新報社で文芸係をしていた若月彰は、ふみ子の歌集『乳房喪失』に魅了されて、彼女の入院先の札幌医大へ会いに行く。そして、彼女が亡くなる9日前まで病室に寝泊まりし、その時の様子が若月の著書『乳房よ 永遠なれ』には書かれてある。

掲出歌については、1954年の7月22日の夜のこととして「彼女が、すうつと、私の蒲団の中へ足を横に入れて来た。身を滑らせて入つて来た」「翌二十三日の朝から彼女は、作歌手帳にメモしてあつた自作をノートへ書き写しはじめた」、その中にこの歌があったと同著で述べている。しかし、ふみ子が乗りたかったのは他に愛した人の「肩」だったかもしれない。

この歌は「遺稿」25首のなかの1首として「鴉族」に掲載されたが、その前の月にふみ子は亡くなっている。死後にこそ彼女の「生」があるのだ。