中城ふみ子 短歌解説その80(執筆者:田村ふみ乃)

いくたりの胸に顕(た)ちゐし大森卓息ひきてたれの所有にもあらず

1951年11月「山脈(やまなみ)」

作者の胸に何度も現れるほど慕っていた大森卓が、肺結核で亡くなった。妻と恋人までいた彼だが、この世を去ったのだから、もう誰のものでもないという。

大森は、1951年1月に超結社誌「山脈」を立ち上げた。これは今でいう「ONE TEAM(ワンチーム)」だろう。十勝の有力な歌人らが集まり、その創刊号(1月)に、ふみ子は「わが想ふ君」として、大森への恋心を大胆にも連作で発表している。そのなかから一首引く。

  生涯に二人得がたき君故(ゆゑ)にわが恋心恐れ気もなし

しかし大森に恋人がいることを知ると、ふみ子は腹を立てて、彼女のほうから別れを告げた。いっぽうで大森は、ふみ子をどう思っていたのか。

大森には歌集はないが、「戦後第四作品集 積日譜」と題した大学ノートを作っており、121首書き留められている。そこにふみ子を詠んだ歌が1首だけある。それは、

  九年の結婚に別れしと花持ちて美貌の歌人われを見舞ひぬ

日付けは、1950年9月となっている。

彼女に興味をもってはいたが、ふみ子の想いに応えるだけの愛があったかというと……。歌を愛する者同士、また同い年だったこともあり、自分のよき理解者として彼女と付き合っていただけだったのかもしれない。

さて、大森の死後2年半が経ち、第1歌集『乳房喪失』を編みはじめた頃には、ふみ子はすでに死を覚悟していた。

この歌集に掲出歌を入れた時、昔の男への気持ちはどうだったのだろう。「たれの所有にもあらず」といいながら、彼の世に大森の妻や恋人よりも先に行けることで、彼と一緒になれる、彼は私のものだと、歓んでいるように思えて仕方がない。女心が凝縮された1首である。

中城ふみ子 短歌解説その34(執筆者:田村ふみ乃)

胸のここにはふれずあなたも帰りゆく自転車の輪はきらきらとして 

1951年6月「山脈(やまなみ)」

わたしの胸には触れないまま、今日もあなたは自転車の車輪をきらきらと光らせて帰っていった。この「あなた」とは若い男性だろうか。そんな爽快な後味がある。

1951年3月に、ふみ子は帯広畜産大学の卒業記念ダンスパーティーで土壌学を専攻していた学生・高橋豊と知り合ったと、一般的にはいわれている。しかし、「在学中に畜産大学に高橋をふみ子が訪ねて来て話題になった」「帯広市内のダンスホール・坂本会館で二人が踊っているところを見た」などの証言が『聞かせてよ愛の言葉を』(小川太郎著)にある。

また同著では、高橋自身が『辛夷』(昭和30年7月号)に「中城ふみ子と私」を寄稿しており、彼の手元にふみ子からの手紙が25通、電報が2通、うち短歌の入っている手紙が7通あり、掲出歌について高橋がこういっているとある。「何時も自転車に乗ってゐた私のことをこんな風に歌ってもあった。察しの悪い私を責めたものであった。五月十五日の手紙である」

高橋は卒業後、札幌の北海道庁に勤めている。こうしたことから著者の小川は、彼が卒業すると文通のみで、もう会うことはなかったのではないかと推測している。

そうすると、ふたりの出会いは1950年になりはしないか。この時期、夫と別居中だった作者にとって、高橋の純情さは物足りなくもあったが、彼女の淀む心を清々しくさせたに違いない。